『英語のハノン』シリーズ、第4弾は「フレーズ編」です。「初級／中級／上級」は、文法的アプローチからスピーキングを練習する教本でしたが、この「フレーズ編」は、そこからもう一歩前へ進んだ、より英会話を意識したテキストです。主に、チャンク（かたまり）の状態で使えるようになるべき表現を、徹底的に口頭トレーニングします。副題も、従来の「スピーキングのためのやり直し英文法スーパードリル」から「コミュニケーションのための英会話スーパードリル」に変わりました。「コミュニケーション」という言葉があらたに使われていますが、この本がコミュニケーションの得意な人「だけ」に向けて作られたのかというと、まったくそうではありません。むしろ逆なのです。

　コミュニケーションとは、人と意思疎通をすること。当然、コミュニケーションに長けている人は、英語のスピーキング面でも有利であると言えます。しかし英語スピーキングを指導する教員としては、「コミュニケーションが苦手だと、英語スピーキングも難しいですね」で終わらせたくない。その先を考えたい。英会話が苦手な人にも取り組みやすい、一人でできるスピーキング教材を作りたい。英語コミュケーションの舞台に上がる前に、人一倍準備をしておきたい人のために、舞台へ上がる階段をかけたい―「コミュニケーションのための英会話スーパードリル」という副題には、こんな思いが込められています。

　しかし同時に強調したいのは、英語には、人とのインタラクション（相互交流）を通してしか身につかない要素も多くある、ということです。パラドキシカルに聞こえるかもしれませんが、やはりスピーキングの上達には、コンテクスト（内容）を意識した英語のやりとりが必須です。このやりとりなしに、自主練「のみ」では、スピーキング力の上達は限定的なものに留まるでしょう。「フレーズ編」には、英会話で使いたくなるような表現を、多く収録しました。是非、実際に英語で人と会話をし、「フレーズ編」で練習した表現をどんどん使うようにしてみてください。一人の時間には「ハノン」でトレーニングをし、英会話の際には「今日は『ハノン』の表現が使えた」「今日はあまりうまく話せなかった」と一喜一憂しつつ、少しずつ着実に前進をするイメージで臨むとよいと思います。

　「フレーズ編」のダイアログには、「初級／中級／上級」にはなかった、主語のない文（“Got it.”など）や、語句のみのセリフ（“True.” “On the count of three.”など）が含まれます。これまで「ハノン」シリーズで、５文型の文を作る口頭練習をしてきた学習者の中には、「あれだけ練習をしたのに、実際に話す時には５文型の文を使わなくていいの？」と感じる人もいるかもしれません。この疑問に対する答えは「Yes and no」です。実際の会話では、すべての発言が５文型の文で成されるわけではありません。「フレーズ編」では、そういった、実際の会話で起こる「崩れ」をも体得することを目指しました。しかし、だからと言って、５文型の文を作れなくてよいわけではありません。主語のない文や語句のみで、（少なくとも大人は）会話ができるわけではないからです。「会話の際には、必ず５文型の文を使わなくてはいけない」「会話の際には、５文型の文などまったく使わなくてよい」―これらのどちらの極論にも走らず、「フレーズ編」に出てくる英語表現をすべてありのまま喰らい尽くすつもりで、トレーニングに向き合ってみてください。

　『英語のハノン／フレーズ編』が、多くの方々のお役に立てますように。

　『英語のハノン』は、徹底的な「パターン・プラクティス」を通して、学校文法を「知っている」から「使える」に変えようとする教材です（もちろん、既存のパターン・プラクティスにはないさまざまな新しい工夫を凝らしています）。「すべてはすでに学校で習っている、あとはその知識をアクティベートすればいいだけだ」というハノンのコンセプトは、刊行後2年足らずでわれわれ著者の想像をはるかに超え、大きな反響を巻き起こしました。こうして数えきれないほど多くの英語学習者のみなさんに受け入れられ、取り組まれているのは、本当に嬉しく、有り難いことです。

　実は、執筆当初の『英語のハノン』では、すべてのユニットの冒頭にダイアログが置かれ、そこで扱われた重要な文法事項を続くドリルで練習するという形式をとろうとしていました。『英語のハノン』のフレームワークは、いうまでもなく「品詞」と「5文型」ですが、その構成とダイアログを両立させることは無謀、というより、不可能なことです。たとえば、Unit 1のテーマを「第1文型」とし、ダイアログを書こうとすると、第1文型以外の文は使えなくなります。そもそも第1文型だけの会話などあり得ませんし、英会話には「定型表現」も多く、それらの多くは第1文型どころか、「5文型」の枠組みには収まらないものです。

　まさに悪戦苦闘という言葉がふさわしい試行錯誤の末、われわれは、総花的になることをやめ、英会話の生命ともいうべきダイアログを捨てて、英文法のドリルだけに特化しようと決めました。中村先生と共同作業をしていたGoogleドキュメントの上で、一緒にバサバサと文章を大量に削除していったときの何ともいえない気持ちは、今も忘れることはできません。

　しかし、これは「転禍為福」でした。ダイアログがないからこそ、かつて「アニマル・プラクティス」などと揶揄されたパターン・プラクティスへの批判に真正面から向き合い、機械的で無味乾燥なドリルにならないよう、中村先生の言葉を借りれば、「『文法的に正しい』だけではなく、口に出して違和感のない、また情景をイメージしやすい」英文にすることを、否が応でも、明確に意識せざるを得なくなったからです。それは、文字通り前人未到のチャレンジでしたが、英文校閲のマイケル・モリソンさんのご協力も得て、一つの結実を見ました。「中級」「上級」も合わせれば、『英語のハノン』は、学校文法の全体系を網羅し、しかもその一つ一つにコミュニカティブな英文でドリルを施した、まさに「天下に一つ」の「英文法スーパードリル」になったと自負します。

　しかし、英語には文法では割り切れないさまざまなフレーズがあることもまた事実で、中村先生からは、かなり早い段階から、すでに具体的な書名とともに「フレーズ編」の必要を伺っていました。それはもちろん、『英語のハノン』の制作過程で切り捨ててしまったダイアログをメインにした本に他なりません。

　「上級」が刊行されると、ただちに中村先生をファーストオーサーとして「フレーズ編」の執筆が始まりましたが、これも「転禍為福」でした。「初級／中級／上級」が揺るぎない英文法の柱として存在するからこそ、「フレーズ編」では、思う存分「フレーズ」にフォーカスしたダイアログとドリルを作ることができたのです（ここでいう「フレーズ」の意味については、『英語のハノン／フレーズ編』の「この本の特長」をお読みください）。

　もちろん、英語の「フレーズ」はこの一冊に収まり切るものではなく、これからシリーズとして続編が刊行されることになります。「初級／中級／上級」と「フレーズ編」は、いわば「車の両輪」であり、「二本柱」です。われわれが当初書こうとして断念した「総合英語」の本が、図らずもこうした形で実現したことは、大げさではなく、夢のようです。

　しかし、こうして改めて4冊の本を並べてみるとき、これらの本は、実はもともとあの世に存在していて、われわれはそれらがこの世に現れるお手伝いをしただけなのではないか──そんな不思議な思いに駆られます。昭和の大仏師、松久朋琳さんは、「仏を迎える」と述べておられます。仏師の仕事とは、木の中から現れようとする仏と心を一つにし、これ以上彫ったら仏の頬や肌に傷がついてしまうギリギリまで鑿で木屑を払い、仏が現れる手伝いすることなのだそうです。そうして迎えた仏像は、もはや自分が彫った仏像でありながら自分が彫った仏像ではなく、開眼法要では、その尊く有り難い姿に涙し、手を合わせる。そんな仏師の心境に近いのかもしれません。

　この本は、きっと英語が話せるようになりたい、英語をマスターしたいと願うみなさんのお役に立つでしょう。立たないはずがありません。そのために、われわれに木屑を払わせ、自ら現れた本だと思うからです。

　万感の思いを込め、自信をもって、この『英語のハノン／フレーズ編』をおすすめいたします。