「禅の語録」は1969年、第1巻『達摩の語録』を第一回配本として、1981年までに十七巻を刊行しました。
代表的な禅の古典を網羅、中国禅宗史の流れに沿い系統的に配列した本シリーズは、禅籍の解読を一気に学問的水準に引き上げた画期的なものとして、江湖の高評を得ました。
本文(漢文)は抜粋ではなく全文を収録。当時望みうる第一級の執筆者により、厳密な校訂、唐宋代の口語史研究にもとづく精確で平明な訳読、歴史学・文献学・中国語学の成果をふまえた懇切な注釈と解説がほどこされ、さらに各巻末に索引を付して禅籍味読に万全を期しています。
しかしながら本シリーズは、三巻を欠いたまま長らく入手困難となっておりました。
このたび、2016年の臨済禅師1150年大遠諱にあたり、臨済宗黄檗宗連合各派合議所の推薦、禅文化研究所の協力のもと、未完であった第5巻、第12巻を補い、小川隆・駒澤大学教授による書き下ろし第20巻を加えた新編成で、復刊・完結する運びとなりました。
求道の導きとして禅籍をひもとく人びと、研究のために禅録を参照する人びと、一般的な解説書を超えて禅の古典そのものに触れたいと願う人びとに、最良の参考書として、ご支持いただけるものと確信しております。
「禅の語録」が永くご愛読いただけることを願ってやみません。
筑摩書房
「道は本と言無し、言に因りて道を顕わす」。『碧巌録』に引かれる古人の言である。ことばを超えたものを伝えるために、禅者はことばをさまざまに活用してきた。同書には、また「此の事は其の実、言句に在らず、亦た言句を離れざるなり」という句も見える。
だが、己れの料簡をもとに粗雑な当て推量で読むならば、古人の言句はかえって求道の障りとなろう。ことばに足をとられず、ことばを超えたものを見極める、そのためには、まず、のこされた古人のことばを虚心に正しく読まねばならぬ。
「禅の語録」の諸書は、精確な校訂・翻訳と詳細な注釈によって、長年、そうした読書のよき導きとなってきた。久しく入手困難であったと聞くが、それがこのたび復刊の機縁を得たことは、喜ばしい。学問的に禅籍を扱う人々のみならず、むしろ、求道のために禅の書物に向かおうとする人々にこそ、この叢書をひろく薦めたい。
この度、臨済禅師千百五十年の大遠諱にあたって、筑摩書房の「禅の語録」が全巻完結して復刊されることをお慶び申し上げます。
一九六九年より始まって、一九八一年に到る迄に、三巻ほど残しながらも、この「禅の語録」が刊行された事は、今思っても大変なご苦労であったろうと拝察します。私なども、伝統の版本を学ぶ以外に、随分と御世話になってまいりました。
以来数十年の歳月を経て、禅語録の研究も大きく進歩しました。改めるべき点もあろうとは思われますが、復刊には大いに意義あると存じます。とりわけ、今日禅語録の読解には第一人者である小川隆先生が第二十巻『「禅の語録」導読』を書き下ろされたことは有り難いことで、拝読するのが楽しみであります。
禅を学ぶ者が、実践躬行と共に「禅の語録」を座右において研鑽されんことを願ってやみません。
一九六九年の『達摩の語録』を第一回配本として、その後、一九七〇年代を中心に陸続として刊行された「禅の語録」シリーズ。それに接した私は禅録の魅力にすっかり取りつかれてしまった。それまでの私がもっぱら親しんでいたのは中国の史書、それにいくばくかの経書や諸子百家の書、また中国人の仏教受容の諸相を伝える『弘明集』や『広弘明集』などもいくらかかじってはいたものの、始めて繙く「禅の語録」の各冊のそこかしこには、それらとはまるで異なる風景が広がっていたからである。問者と答者との緊張した関係のなかで発せられる生々しい肉声。新鮮な衝撃を受けた私は、そのことを畏友の三浦国雄さんに熱っぽく語り、それならばと、入矢義高先生と柳田聖山先生が主宰される禅録の会読会に誘われ、毎週の金曜日に禅文化研究所で行なわれていた『祖堂集』会読の末席に列なることともなったのであった。
忘れがたい思い出とともに大切に架蔵している「禅の語録」シリーズ。それが今回、装いを新たにして復刊され、江湖の士の読書に供されることとなるのは無上の喜びである。
このたび、筑摩書房の往年の名著「禅の語録」(全二十巻)が補填・復刊されることに、心からお慶び申し上げたい。禅宗は、釈尊の菩提樹下の覚りをそのまま伝える仏教であり、祖師方は言語表現以前の体験の消息に導こうと、さまざまな手段を用いて修行者を接得した。その一環に独特な言語表現もとめどなく生み出され、それらは多くの「語録」として我々に残された。その文言は他の仏教各宗の教理を構成する漢文とは異なって口語体が主であり、説法する老師の煖皮肉が宿った躍動する言語である。その奔放にしてかつ綿密な禅録の心髄を、唐・宋代口語文等の学問的に確かな解読と伝統的な宗旨に基づく解釈との双方をふまえた解説により、たやすく味わわせていただけるのが本全集である。即今・此処に息づく自己のいのちをそっくり生き抜くためにも、日々、古教照心の悦びをかみしめるためにも、この全集各巻にもっぱら親しまれることをひとえにお勧めするものである。
禅といえば、まず坐禅である。身体技法が、ある種の意識状態をつくりだす。坐禅はその典型で、仏道修行に取り入れられた。伝統的に心身一元論を採ってきた日本人に、馴染みやすい修行法であったに違いない。
只管打坐のいっぽうで、禅はおびただしい「ことば」を遺した。修行者は、公案として、師と一対一でそれを学ぶという。いわば口頭試問だが、「禅問答」というように、多くはわけがわからない。非合理である。論理の壁を超えろ。そういうことであるらしい。
坐禅と公案、この二つは互いに補完し合っている。つまり禅は、脳みそで考えることの限界を、身体を動員して教えるのである。
私自身は坐禅はやらない。虫捕りをする。「ことば」のほうは商売モノなので、それがいかにアテにならないか、よくわかっている。「おまえの考えてることは、その程度だよ」。禅家のことばは、そう説く。完全に言語世界に囚われている現代人にとって、これは衝撃であろう。専門家に独占させておくのはもったいない。広くお奨めする所以である。
禅宗は、早くから、禅者の教説や言行を文字に書き記して伝えて来た。それはほどなく入唐僧・入宋僧たちによって日本にも将来され、爾来、各種の禅籍が、日本の禅門において読みつがれてきた。この間、個々の字句にとらわれず、あくまでも実地の修行の導きとしてそれを読むという姿勢が保たれてきたのは、ある意味では、当然のことであった。禅籍は肚で読む、という言いかたは、今日でも未だ死語になってはいない。
これに対し、禅宗文献を中国古典文献の一種として語学的・文献学的に読み解こうという試みが開始されたのは、実はわずか半世紀余り前のことでしかない。入矢義高が戦後まもなくの頃、京都大学人文科学研究所(京大人文研)で岩波文庫の『臨済録』の読書会を始めたのが、その初めであった。
戦前において、宗門の老師や居士による評釈ふうのものをのぞき、一般の読書界・知識界に公開されていた禅宗文献の学問的訳注書としては、岩波文庫に収められた数点がほぼその全てであった。中国のものについてその書名を挙げれば、臨済禅の正統の師家としての朝比奈宗源による『臨済録』と『碧巌録』、および印度学・仏教学の権威であった宇井伯寿による『頓悟要門』『伝心法要』『禅源諸詮集都序』等である。これらの書物では未だ現代語訳は行われておらず、原文の句読・訓読・語釈についても、今日の中国学の水準から言えば多くの過誤と不備を含んではいたが、禅宗文献が宗門人や参禅者の範囲を超えて知識人一般の関心事となりえたのは、おそらく岩波文庫の功績にほかならない。戦後、入矢が唐代口語史研究の一環として禅宗語録の読解に着手した際、まず読書会のテキストとしてこの文庫が利用されたのは自然の勢いであった。
戦後、その読書会を皮切りに、入矢は柳田聖山と互いに協力しつつ、精力的に禅宗文献の学問的解読を進めていった。大徳寺内での佐々木ルース主催の『臨済録』英訳プロジェクト、人文研や禅文化研究所(京都・花園大学内)での共同研究等がその主な舞台であり、その成果はやがて筑摩書房の『禅の語録』全20巻に結実する(1969年から1981年。ただし、うち3巻は未刊)。この叢書は、本文校訂の厳密、訓読と現代語訳の正確、そして注釈の精深と周到において、禅宗文献読解の水準を飛躍的に推し上げたものであり、今日でも禅宗研究者の不可欠の参考書となっている。『禅の語録』既刊17巻のうちに『臨済録』『頓悟要門』『伝心法要』『禅源諸詮集都序』が含まれているのは、それらの典籍が重要であるからだけでなく、この段階の研究が第一期の岩波文庫本の批判的検討から出発したことの名残でもある。のちにやはり入矢の指導で完成される『馬祖の語録』、『玄沙広録』上中下、『景徳伝灯録』の訓注等(いずれも禅文化研究所刊)は、その事実上の続編であった。禅宗文献が中国古典文献の一種として厳密な学問的解読をほどこされるようになったのは、『禅の語録』以降のことであり、これによって禅の書物は、禅宗研究のみならず、東アジア漢字文化圏の歴史・思想・文学・語学などの研究においても重要な資料として用いられるようになった。
禅研究の分野では、『禅の語録』とその事実上の続編である禅文化研究所刊行の訳注書を基礎として、ひきつづき禅宗文献の学問的解読がつづけられ、やがて21世紀に入ったあたりから、その蓄積をもとに禅の思想史――厳密にいえば「禅」そのものの思想史と言うより、禅宗文献に書きのこされた思想の歴史、いわば「語録」の思想史と言うべきもの――が考察されるようになってきた。その試みはここ数年の間にようやく形を表わしはじめたばかりで今なお未熟なものではあるが、それにともなって、修行の世界と学問の世界のあいだに対話の路が開かれるようになってきた。かつて、両者の間はお互いに、よくて敬遠、ともすれば無視や暗黙の敵視というふうでもあったようだが、近年、見識と度量を具えた心ある禅門の人々によって、禅宗文献の学問的解読の意義が認められるようになり、その成果をまずは虚心に学んでみようという禅僧の勉強会が、京都でも、東京でも、定期的に開かれるようになっている2016年の臨済禅師の1150年の遠忌とその翌年の白隠禅師の250年の遠忌、その2年つづきの記念事業が大きな動機づけとなっていると聞くが、そうした勉強会の一端に連なりながらひしひしと感ずることは、今回、そのための種々の活動をつづけている禅門の人々が、遠忌を過去の記念でなく、未来への突破口にしようという強い意志をもって働いているということである。禅をひろく社会に発信しようという外向きの努力と、学問的成果を吸収して修行体験の内実を自覚的に深めようという内向きの努力、その両方向が表裏一体となって進められているさまには、正直、頭が下がる。禅は、今また、新しい時代に入ろうとしているのだと実感する。
その間、『禅の語録』や『馬祖の語録』はながらく品切れとなり、若い求道者や研究者は古書での入手にも苦労する状態がつづいていた。復刊の希望は早くから数多く寄せられていたそうだが、長期的な出版不況のなか、その実現はきわめて困難であった。しかし、右のような気運のなか、筑摩書房ではついにその復刊を決断し、禅文化研究所と協力して未完の2点のかわりに『馬祖の語録』と『玄沙広録』を編入し、さらに解説の巻を新規に作成して全二十巻をそろえることとなった。新編成による復刊は禅門の改革と新生の気運に後押しされたものであり、と同時に、この復刊は禅門のそうした気運をさらに推し進める有力な一助となるはずである。
本巻は、当初、入矢・柳田両先生によって執筆されるはずであった解説の巻に代わるものであり、『禅の語録』を読み進めるために必要な語録の世界の見取り図を提示しようとするものである。両先生によって書かれるはずであった解説にくらべれば、きわめて稚拙であることを認めざるを得ないが、求道の面からであれ、学問の面からであれ、これから新しく語録の世界に入ってゆこうとされる方々にとって、まず最初の一歩を踏み出すための、足のとどく踏み台になり得ていれば幸いである。
2016年4月
小川 隆(駒澤大学教授)