きっと他にも道がある/柳川範之

二月に、『独学という道もある』(ちくまプリマー新書)という本を出させていただいた。この本は、経済学の専門書や解説書を書いてきた私にとっては、かなり異色な(ある意味ではとてもハズカシイ)本となっている。それは、今まで私がどんな風に勉強してきたか、どんな風に生きてきたかを紹介する内容になっているからだ。
 私の経歴は確かに、普通に比べるとかなり変わっている。高校には行かず海外で暮らし、独学で大検をとった後、大学も通信教育課程を卒業して、今は大学で教えている。とはいうものの、大してドラマチックな経験をしてきたわけでもないし、サクセスストーリーというわけでもない。そもそも、こんな半人前の人間が、偉そうに自分の過去を語ってよいのかという疑問は、出版のお話をいただいたときから強くあった。
 そんな気持ちの中で、結局、本を出させていただくにいたったのは(もちろん編集者の方が熱心に勧めてくださったからなのだが)、挫折感や閉塞感を持っている方々が、この本を手にとることで、少しでも「ああ、そんな生き方もあったのか」「ああ、そんな道もあったのか」という気持ちになってくれればと考えたからだ。
 普通ではない生き方をしてきた者からすると、今の日本は、多くの人がとても窮屈な思いをして生きているようにみえる。狭い道を、「とにかく道を踏み外さないように」「とにかく皆から遅れないように」と、必死で走っている。その結果、少しでも踏み外したり、遅れたりした人たちは深い挫折感を持ってしまう。極端にいえば、そんな風に見えるのだ。でも、本当はそんなことはなく、きっと道はもっとたくさんあるはずだ。
 ちょうど受験シーズンである。もちろん、入学試験というハードルを越えようと一生懸命勉強すること自体は、意義のあることだ。試験があることの重要性や、勉強や努力の意義を否定するつもりはない。しかし、高い偏差値をとり、いい大学に入って、いい会社に就職することだけが、唯一の価値観であり成功ルートだというのは、狭すぎる考え方だろう。そこでうまく能力を発揮できなかっただけで、もうダメな人間なんだと、本人も回りも考えてしまうとしたら、それはとても不幸なことなのではないか。
 実際には、入試でチェックできる能力なんて、それぞれの人が持っている能力のごく一部にすぎない。そこでうまくいかないからといって悲観したりするのは、ばかげたことだ。そんなときに、「独学という方法だってあるんだ」と思ってもらえたら、少しは肩の荷が軽くなるのではないか、未来が明るく見えてくるのではないか。そんな風に思って本書を書き始めた。
 この本はプリマー新書ということで、基本ターゲットは高校生など若い方々に向けて書かれている。けれども、私としては、若い方々だけでなく、社会人あるいは年配の方々にも、「目の前には、実は考えている以上にもっと多様な選択肢があるんだ」ということを感じていただければと思っている。
 世界的経済危機の影響で、わが国の雇用状況も急速に悪化している。派遣切りという言葉が話題となり、雇用の不安を抱えている人も多い。このような環境の下では、多くの人が、不満や違和感を持っていても、現状にしがみつきがちである。
 けれども、実際には、もっと多様な選択肢があるのではないか。もちろん、このような経済情勢では、頑張っても容易に転職ができたり、職をみつけたりできるわけではないかもしれない。しかし、たとえば独学でいろいろと技能や能力を身につけていけば、人生の選択肢は広がっていくはずだ。そして、たとえ転職などを実際にしないにしても、そのような技能を身につけて、選択肢を広げていくこと自体が将来を明るくしてくれるに違いない。そんなことを一人でも多くの人がこの本を読んで感じてくれたら、著者としてこんなに嬉しいことはない。
(やながわ・のりゆき 東京大学准教授)

『独学という道もある』
柳川範之
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