「経済」はなんのためにあるのか/雨宮処凛
六月、広島のマツダの工場で、四二歳の元期間従業員が無差別殺傷事件を起こした。
この事件が起きた原因を、「不安定就労」や容疑者が主張する「クビ切り」だけに特定するつもりはない。様々な要因が絡み合って起きた事件だろう。しかし、今の日本に「このままでは絶対に這い上がれない層」が存在することは、子どもだって知っている。そして働く人々は、常に隣の「誰か」を蹴落とさなくては生き残れないぞ、と耳元で囁かれている。誰もが安心できない「食うか食われるか」の状況。そんな中で、私たちは生きている。
しかし、ちょっと前の好景気の頃の日本は、そんな殺伐とした社会ではなかったように思う。少なくとも働いても食えないなんて層はごくわずかだったろうし、これほどたくさんの非正社員はいなかったし、バブルの頃は大学生たちが大歓迎されながら社会に迎えられていた。しかし、今、非正社員も失業者も増え続け、就活は困難を極め、働く人の賃金は下がり続けている。どうしてこんなふうになったの? 「不況」だから仕方ないの? この、あまりにもシンプルで難しい問いへの回答が本書にある。
「不況は人災です」のタイトル通り、本書は今までの経済停滞の原因を、「自民党政府や財界、日本銀行の姿勢」にあると指摘している。これだけ書くとなんだか左派系の集会とかで配られるビラみたいだが、経済学者という立場からの冷静な分析がここにある。
例えば、「小さな政府」を目指してきた「新しい古典派」の経済学者たちの問題点。一言で言うと、時代遅れの学説をふりかざすオッサンたちが政府のブレーンになったもんだからいろいろトンチンカンなことしてみんな大迷惑、といったところだろうか。七〇年代のインフレを打開するための経済政策が、ゼロ年代のデフレ不況の真っ最中に開花してしまったという転倒。著者はこの状況を「たとえは悪いですが」と前置きし、「敵国が攻めてきたときに軍縮して、平和になってから軍拡するようなこと」と述べている。経済学の難しい言葉ではなく、終始徹底した優しい言葉で書かれているのも特徴だ。
本書で新鮮だったのは、経済成長には二種類ある、という指摘だった。例えば私のようなプレカリアート活動家は、「経済成長」という言葉を聞いただけでうさん臭さを感じてしまうというか、反射的に身構えてしまうわけだが、著者は「小泉さんたちが目指していた経済成長と、景気低迷を打開するための経済成長とは、実は意味が全然違うのです」と述べている。
詳しくは本書で読んで頂きたいが、著者が一章を割いて書いているのが「新しいケインズ理論」だ。経済学のことなどまったくもって全然一切わからない私だが、非常にわかりやすく読めた。というか、七〇年代からの日本や世界の経済がどのような理論に基づいていたのか、その流れを知るだけでも大きな意味がある。しかし、最先端である「新しいケインズ理論」を担っている世代はまだ若すぎて、政治への影響力を持ち得ていない。一番の問題点は、著者が心配するように、この学説が世の中に受け入れられるのは「いつなのか」ということである。
経済学というと、どうしても「硬い」「難しい」というイメージがつきまとう。しかし、本書によって、それが随分身近なものになった気がした。というか、経済学がこれほど自分たちの生活に直結し、影響を与え、場合によってはとてつもない破壊力を持つ、ということをまざまざと見せつけられた思いだ。
本書を貫く「おカネの価値や国家財政のために人間があるのではなく」「働きたい者が誰でもまっとうに働けて、安心して暮らしていけるためにこそ、経済というものはあるんだ」という至極まっとうな考えに共感した。
(あまみや・かりん 作家)
『不況は人災です! ─みんなで元気になる経済学・入門』 詳細
松尾 匡 著
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