浪速のスーパーティーチャー守本の授業実践例

第四章 評論

第四章 評論

3 「水の東西」山崎正和

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③補助線を引く――無常と永遠

 「水の東西」が収められている『混沌からの表現』(ちくま学芸文庫)の中で、筆者が一瞬の花火の中に「序・破・急」というリズム、ドラマを見いだし、無常を感ずる日本人の心性について言及しています。夜空に打ち上げられた花火の中に、無常やはかなさを積極的に見て取り、それに心ひかれる日本人の感性は、「かたちなきもの」にひかれる「水の東西」の日本人を想起させます。

 はじけては消える夏の夜の花火を見ていると、ふと、そこはかとない悲しみがただようことは事実である。日本人は昔からそういう「はかなさ」に心ひかれ、人生の無常に耽溺してきたと信じられている。それはたしかにその通りなのだが、しかしその同じ日本人が、ふしぎに一方で極端なニヒリズムに走らなかったことも事実なのである。人生の無常をかこちながら、われわれの先祖はそのなかにけっこう安定した自然を見出だしていた。そしてそれはたぶん、一瞬の変化の中にも「序・破・急」を感じとる、あの敏感な秩序の感覚のせいにちがいないのである。
(「無常のリズム」)

 人生の無常に耽溺してきた日本人が極端なニヒリズムに走らなかったのは、常に無常に敏感であった日本人だからこそ、その繊細な感性で自然の中に安定を見いだし得たとしているのです。

 ここでの「安定」とは「無常」と対比されるべきもので、この場合は「不変」「永遠」とも言い換えられます。無常に敏感であるからこそ永遠にも敏感であるのです。日本人は世の無常を感じながら同時に永遠なるものに心を解放されるという心性を持っているということなのでしょう。つまり、「かたちなきものを恐れない心」とは無常を恐れず,無常の向こうに永遠不変なるものを見て取る感性ということになります。

 そういえば、この文の主役である「鹿おどし」は、こう描写されています。

 緊張が高まり、それが一気にほどけ、しかし何ごとも起こらない徒労がまた一から始められる。(60頁7行目)

 〈ゆっくり〉→〈徐々に〉→〈一気〉に、というまさに「序・破・急」ですね。日本人は、この「序破急」という無常のリズムの繰り返しの向こうに永遠を見て取っているわけです。鹿おどしの音がかえって静寂を強調し、音の断続が永遠の継続を強調するように、無常の強調は、永遠の強調を表すということです。ニューヨークの銀行の待合室で西洋人が鹿おどしに心を惹かれなかったのは、彼らが多忙であったからではなく、そこに序破急のリズムを感じ取れなかったからだ、ということもわかります。まさに文化の違い、感性の違いです。

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