ちくまの教科書 > 国語通信 > 連載 > 舞姫先生は語る第二回(3/5)
第一回 『舞姫』のモチーフについて
第二回 太田豊太郎の目覚め
第三回 エリス――悲劇のヒロイン
第四回 太田豊太郎と近代市民生活
第五回 『舞姫』の政治的側面
第六回 結末
鈴原一生(すずはら・かずお)
元愛知県立蒲郡東高等学校教諭
第二回 太田豊太郎の目覚め
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豊太郎・鴎外が影響を受けた文学者と社会主義

 しかし、自由なドイツに来て、当時のヒューマニズムの洗礼を受けた豊太郎は、人間の自由、個性の尊重、それらを抑圧するものからの解放の重要性を認識するに至るのです。その証拠はどこにあるのかと言えば、エリスと出会った直後の豊太郎とエリスの生活を描く次の場面に現れています。

シヨオペンハウエルを右にし、シルレルを左にして、終日兀座する我が読書の窓下に、

 ドイツの国民詩人・シルレル(シラー)は、豊太郎の愛読書でありました。鴎外とシラーとの間には共通の経歴があります。それは「軍医」です。法律学が学問のスタートであったにも拘わらず、それには興味が持てずに文学に興味を抱くという豊太郎と、シラーの経歴は重なる部分もあるのです。さらにシラーには、歴史の研究者としての側面もあります。文学の世界へ歴史を導入したのはシラーなのです。豊太郎の法律学から歴史・文学への転向を考えるとき、この影響を見逃すことはできません。シラーの根底には倫理的理想主義があり、それに基づく自由へのあこがれと圧政への憎しみがありました。だれもが知っている『ウィルヘルム・テル』はシラーの作品です。

ビヨルネよりはむしろハイネを学びて思ひを構へ、

 豊太郎はハイネに学んで自己の思想を構築したのです。日本では詩人として知られているこの人物は、かなりラディカルな人物です。少年期に自由・平等・博愛のフランス革命の影響を強く受け、それは彼の文学に一貫しています。ベルリン大学でヘーゲルの講義を受け、後にはマルクスと親しく交わることとなります。鴎外の生涯にわたる社会主義への興味関心とこだわりは、ここに淵源が在るのかも知れません。

 鴎外は、明治四十三(一九一〇)年の大逆事件の際には、自らの危険も顧みず弁護人の平出修に対して一週間に亙って社会主義の講義をし、平出は被告人たちから情理備わった弁護ぶりを感謝されたということがあります。このとき鴎外は『沈黙の塔』を書き、明治政府の社会主義者に対する苛酷な取り締まりを批判しました。被告人たちに対しては『食堂』の中で犬塚という作中人物に「さうさ、死にたがつてゐるさうだから、監獄で旨い物を食はせて、長生をさせて遣るが好からう」(「鴎外全集」第七巻 岩波書店)と語らせて、作中人物の冗談に紛らせて被告人たちの助命を嘆願しているのです。誰に対して嘆願しているのかというと、陸軍・政界の中心人物であり、鴎外の親分でもあった、「大逆事件」を画策した山県有朋に対してです。鴎外は、おおげさに言えば思想表現の自由に関して生命の危険を顧みず自らの主張を展開したのです。勇気があると言うべきでしょう。一方、鴎外と並び称された夏目漱石は、社会主義者に対する政府の対応に関して、事件の前年、『それから』の中で、現代の滑稽の見本として幸徳秋水に対する警察の過剰な取り締まりを皮肉るのが精一杯でした。

 豊太郎(鴎外)が強い影響を受けた二人の文学者を知れば、彼の属する官僚機構の非人間性に対する批判が表面的な、一時的なものでないことが分かるでしょう。

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