万葉樵話――万葉こぼれ話

第七回 非正統の万葉歌――巻十六から

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菊と梅

 もう一つ別の例を示そう。『万葉集』には、漢名で呼ばれる渡来系の植物は歌われることがない。その代表はキク(菊)である。『万葉集』には、菊を歌った歌は一首も存在しない。菊は大陸から渡来した植物で、キクの名も漢音に由来する。そこで『万葉集』からは排除されることになったらしい。一方、『万葉集』とほぼ同時代の漢詩集『懐風藻』には、庭前の菊をその芳香とともに讃美した詩が収められ、「菊酒」(ちようようせつに酒盃に菊花を浮かべて長寿を祝した)を詠じたものまで見られるから、漢詩の世界では菊が受容されていたことがわかる。菊の伝来はもっと後代であるとし、『懐風藻』の菊は文飾に過ぎないとする説もあるが、これには疑問が残る。菊はしかし、平安時代になると和歌の世界でもさまざまに詠まれるようになる。菊を詠むことへの抵抗が薄れたためだろう。当時は菊の栽培にもりようが必要とされたらしい。平安時代の事例だが、『へいちゆう物語』の主人公へいちゆうたいらのさだふん)は菊作りの名手であったとされる(二段、二十段)。

 さらに、余計なことを付け加えれば、日本文化論の古典ともいうべきルース・ベネディクト(一八八七~一九四八)の『菊と刀』という書名は、菊を日本文化の象徴と捉えており、上のことを考えるとどこか違和感を覚える。天皇家の紋章がなぜ菊なのかも、同様に不思議である。どこかで菊に対する見方に転換があったと考えざるをえない。後鳥羽院(一一八〇~一二三九)あたりが菊を紋章とした始まりらしいから、中世以降のことになる。

 菊と対照的なのが梅である。第一回に取り上げた「梅花の歌」のところでも述べたように、梅もまた大陸伝来の渡来植物であり、ウメ(梅)の名も漢音に由来する。現在の中国音はメイだが、当時はムメないしメと発音されたらしい。万葉仮名では「梅」はメの音を示す。しかし、菊と違って、梅は当初から和歌の世界に溶け込み、「梅花の歌」がそうであるように、『万葉集』にもさまざまに歌われている。ウメは、むしろ和語に近い名として意識されていたのかもしれない。

 もっとも、梅という植物そのものは、大陸文化とつよく結びついていた。渡来種であるだけに、伝来の当初から鑑賞用とされ、貴族の庭園に植えられたからである。そのことを示す象徴的な話がある。だいの正殿であるしん殿でんの正面には、こんたちばなついとしてこんの桜が植えられているが、当初は桜ではなく、梅が植えられていた。かん天皇(七三七~八〇六)の時代、平安京遷都(七九四)に際して、漢風趣味に傾倒した桓武天皇が梅を植えたのが始まりとされる。それが桜に変わるのは、にんみよう朝(八三三~五〇)の末年あたりであったらしい。文化の国風化への流れが背景にあるという。『万葉集』の和歌に梅が詠まれるのは、述べたように、その名が和語に近いと意識されたからだろう。

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