万葉樵話――万葉こぼれ話

第九回 『万葉集』の和歌にはなぜ敬語があるのか(二)

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関係の擬制・谷崎潤一郎の場合

 ところで、主従関係を擬制したこのやりとりを見ていると、私はいつも谷崎潤一郎(一八八六〜一九六五年)と松子夫人(一九〇三〜九一年)のことを想起する。松子夫人は、谷崎の三度目の結婚相手だが、もともとは人妻であり、紆余曲折の末、やっと妻にした女性である。谷崎の女性崇拝の理想像を具現したのが、松子夫人であった。その松子夫人が、谷崎の死後に刊行した『しようあんの夢』という本がある。そこに逢瀬を重ねていたころの谷崎の手紙が引用されているのだが、そこに驚くような内容が記されている。

 れうにんさま(松子夫人)へ御願ひがあるのでござりますが、今日より召し使ひにして頂きますしるしに、御寮人様より改めてほうこうにんらしい名前をつけて頂きたいのでござります、「潤一」と申す文字は奉公人らしうござりませぬゆゑ「順市」か「順吉」ではいかゞでござりませうか。従順に御勤めをいたしますことを忘れませぬやうに「順」の字をつけて頂きましたらどうでござりませう。「潤」の文字は小説家として売り込んでをりますことゆゑ対世間的にははりそれを使ひますことを御許し下されまして、……。

 谷崎はここで、名前を奉公人らしく変えて、松子夫人にお仕えしたいと記している。松子夫人は、この手紙に接した際、妹たちに「どうしよう、えらいもつたいないことやわ、それにしても煙たい御家来やなあ。」と洩らしたことも記されているから、相当な困惑を覚えたに違いない。さらに谷崎は、『春琴抄』の佐助を演じるつもりか、食事の際には、松子夫人のお給仕役に徹して、決して一緒には食べず、後で別に食べたとも記されている。なお驚くべきは、谷崎は、せん(大阪市中央区。大阪町人文化の中心地)あたりの番頭かでつが使う木箱のお膳をわざわざ買い求め、女中と一緒にこれで食事をさせてもらうと言い出したので、松子夫人は「こればかりはめてちようだい」と頼んで、何とか見合わせてもらった、とも記されている。

 むろん、これらは谷崎の独り相撲、もっといえばエゴイズムの現れに過ぎない。松子夫人もまた「罰当りと思われるかも知れぬが、私とて女の身、普通の夫婦としてむつみたいとどんなに望んだことであろう。」と記している。だが、興味深いのは、松子夫人もまた、この谷崎のエゴイズムを全面的には拒否せず、かなりの程度それに合わせていたらしいことである。食事の際、谷崎にお給仕をされながら、「自然奥方のように品位を持って物静かに食器も取り上げなくてはならず、おいしいからと云ってそうかつ〻〻おなか一杯戴いて幻滅を感じさせてはと、少しずつ口に運び、自分ながらまことにお行儀の良いことであった。」と記しているから、驚くほかはない。松子夫人もまた、谷崎の演技に応じていたことになる。この関係の擬制は、どこか紀郎女と家持のそれに通じあうところがあるのではあるまいか。

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