五分に一回キュンとしたり、
じーんとしたり。
やさしさに包まれる、魔法のような短篇、
十一話。
ISBN:978-4-480-42829-5
定価:本体600円+税 ちくま文庫
五分に一回キュンとしたり、
じーんとしたり。
やさしさに包まれる、魔法のような短篇、
十一話。
ISBN:978-4-480-42829-5
定価:本体600円+税 ちくま文庫
是非、書店にて本書籍をお手にとってご覧ください。
死んだあなたに、「とりつくしま係」が問いかける。この世に未練はありませんか。あるなら、なにかモノになって戻ることができますよ、と。そうして母は息子のロージンバッグに、娘は母の補聴器に、夫は妻の日記になった……。
たくさんの方から感動の声を寄せられた短篇小説集『とりつくしま』をモチーフに、「モノになって大切な人のそばに戻ってきても、そっと見守ることしかできない切なさ。それを短歌というかたちで表現してみませんか」と呼びかけたところ、たくさんの応募がありました。
応募いただきました皆様、本当にありがとうございました。
この度、寄せられた歌の中から東直子さんに優秀作品を選出していただきましたので発表いたします。
歌人・東直子さんの小説「とりつくしま」(ちくま文庫)を読まれた方はご存知かもしれませんが、
「とりつくしま」とは、亡くなった人の魂が、
この世に戻ってきてとりつく「モノ」ののことです。
魂がとりついた「モノ」になった気分で、「モノ」の目線で短歌を詠んでみてください。
短歌の後の( )内は作者がとりつくしまにしたモノです。
どの「とりつくしま短歌」も、深い想いがこもっていましたが、それがそのままモノ以上のことはできない切なさに直結して、
胸にこみあげてくるものがありました。
どの作品もすばらしくて、すてきで、選ぶのに苦労しました。
それぞれが選んだ「とりつくしま」の必然性やアイディアが、五七五七七の韻律を生かして生き生きと表現され、
新しい身体で過ごす時間をたっぷり味わえました。
*毎日一枚ずつ、痛みとともに身体をなくして、一年たったらすべてなくなる。それが相手の、自分を喪失したことの悲しみという「痛み」を忘れさせることとなる。歳月が悲しみを癒すということを、悲しまれている側から、体感とともに味合わせてくれる一首。痛切、という言葉がこんなに似合う歌はありません。「とりつくしま」としての覚悟が感じられます。偶然なのか意図的なのか、「度胸」という熟語が見えるのも素晴らしいです。
*毎日新鮮な水を飲んでもらうためのコップ。コップに一途な想いがあれば、そこに汲む水は、なによりも清らかな水になるのですね。朝がくるたびに新しくなる、ということ、そして希望を感じさせる「ひかり」にみちていること。一杯の水のある風景が、ひときわ美しいです。
*一週間に一度の、もっともリラックスしている「あなた」の肉体の一部を「食べる」。爪という、切り取っても痛みを伴わない部分とはいえ、その発想から推測される深すぎる愛情が、なかなか怖いです。爪を切るタイミングが決まっている「あなた」の人となりも見えて、物語がふくらみます。
*送るときも迎えるときも直接手にふれる「とりつくしま」として蓄積されていく、あたたかな新しい記憶。「握り返す」という言葉に気持ちがこもっています。
*ときどき、ほんの一瞬だけ景色を共有したい。目薬の一滴のようなささやかな願いが輝いています。
*その人が一番好きな歌集の、それも「栞」を選ぶなんて心憎いです。なんども開くことも、必ずそこに栞をはさむことも知っていて。
*手とくちびるに触れることのできる「お箸」が、とっても官能的です。うれしくて、酩酊しているようですね。
*親が子どもを見守っているのでしょうか。恋人かもしれません。いずれにしても、長い歳月、不変の肯定感を与えてくれる櫛なら使い続けたいものです。
*鼓動と時計の針の動き。少し違う速度を感じつつ、今たしかに生きている「君」を実感しながら、時間を共有している喜びが伝わります。
*「君」の食べ物を日夜運ぶスプーンが、誇らしい気持ちで働いている様子が伝わります。一時的に食べ物を運ぶだけでなく、「成分」としてその身体の血となり肉となるところまで思っているところが、深いですね。
杖は、夫であった「わし」が生前使っていたものでしょう。そんな杖にとりついて、車椅子を使いはじめたばあさんに「もう一度歩こう」と呼びかけています。自分が死んだショックで車椅子を使いはじめたのだと、責任を感じる部分もあったのでしょう。亡夫の一念によって、ばあさんはクララのように立ち上がるかもしれません。杖(わし)とばあさんは、再び手をつないで歩くことができるのでしょうか。
笹公人特別賞は、笹公人氏選考による特別賞です。2017年6月5日に行われた「とりつくしま短歌」トークショーにおいて追加発表されました。