浪速のスーパーティーチャー守本の授業実践例

第二章 小説

小説について

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 生徒にとって小説は、どうも二つに分類されるようです。一つは、自分たちの興味や関心を扱い、しかも自分たちに寄り添った表現を用いて、読んで面白い、いわゆるライトノベルやケータイ小説です。もう一つが、教科書に載っている小説です。自分に寄り添ってくれて、奇抜でありながら、わかりやすくて飽きさせない派手なストーリーに慣れてしまった生徒からすれば、教科書の小説は普通の出来事であるか、それとも自分の現実からかけ離れた出来事であり、それゆえにそこでの登場人物のわずかな心情の起伏などは見過ごされやすく、また、たとえその起伏を発見できたとしてもその心情をなかなか理解することができません。つまり面白くないのですね。自分の感覚や興味関心とは違う世界の出来事なのですから。

 しかし、自分の感覚と異なる世界を描く教科書の小説は、趣味や嗜好に関しては意外と保守的で自分の殻に閉じこもりやすい生徒の視野を広げ、世界が未知のもので満ちていることを教えてくれます。例えば、『羅生門』や『こころ』『舞姫』についても、人間の心の奥底を見つめ、その影の部分を深く描いているこれらの作品に出会うことで、生徒は今まで考えもしなかったような自らの持つ心の影の部分を意識し始めます。こうした作品に出会うことで、今まで当然と思っていた自分と世界との関係にも少し疑問を持つようになり、周囲を見渡す契機ともなり得ているのです。生徒に寄り添ったわかりやすい作品が教科書に増えること自体は悪くないのでしょうが、やはり生徒が普段触れることのない「小説」を教室で取り上げることが大事なことだと思います。

 この章で述べる『待ち伏せ』や『棒』『山月記』は、いずれもこの世界に対する違和感や疎外感を扱っています。『棒』や『山月記』の主人公は、自分の意志とは無関係に棒や虎に変身させられ、突然人間の世界から疎外されて困惑します。しかし、変身の理由や原因は不明のままです。「なぜ棒になったのか?」「なぜ虎になったのか?」というのがこれらの作品のヒミツなのですが、それに対する生徒の答えは極めて似通っています。原因を主人公自身に求めるのです。奇抜でありながらもどこか類型的なライトノベルや、マンガ・アニメ・ゲーム等の影響もあるのでしょうが、善と悪がはっきりした、わかりやすい勧善懲悪風で感傷的なストーリーの中で、それらを捉えようとするのです。『山月記』の主人公・李徴が虎になったのも、妻子への愛がなかったからだ、とするのがその典型です。自分たちの感覚に縛られて、それ以外の世界が見えにくくなった生徒の心を解きほぐし、自分たちの殻から抜け出して、小説の世界の広さと深さを実感させることが授業では必要ではないでしょうか。

 また、『待ち伏せ』の主人公は、自らの意志とは異なる振る舞いをした自分自身に対して違和感を持ちます。この場合は、自分自身から疎外されているわけですが、それは『こころ』の「K」や「先生」が、自身を理解できずに違和感を持ち、周囲からも、そして自分自身からも疎外感を持つのと同じです。このように、これらの疎外感や違和感が小説を理解する上では非常に重要な感覚になってくるのですが、生徒はこのような感覚に、あまりに無頓着です。

 では、「そういう感覚が生徒にはないのか」というと、そうではありません。自分自身を含め、生徒の周りにはそれに類することが日々生起しています。ただ、これまでそれらを表現する言葉を持たなかっただけなのです。それゆえ、自分の心にあるそのような疎外感や違和感が見えなかったのです。そこで工夫がいるのです。私の場合は、『待ち伏せ』では身体論を、『棒』や『山月記』では記号論を補助線とすることで、生徒の世界と小説の世界とを結びつけ、生徒の心を解きほぐそうとしました。

 生徒が自分の殻から抜け出し、自分の心を表現する言葉や感覚に出会ったとき、生徒は今まで見えなかった自分や、世界・周囲が見えてきます。そして、「自分って何?」「世界とは?」という疑問を持つようになるのです。この素朴ながらも簡単には整理できない疑問を生徒が持ったとき、彼らは小説理解の第一歩を踏み出したといえるのではないでしょうか。

 それでは、私の授業実践例です。

●教材

  1. 『待ち伏せ』 ティム・オブライエン/村上春樹 訳
  2. 『棒』 安部公房
  3. 『山月記』 中島 敦
特講 『変身』フランツ・カフカ/池内紀 訳
(『変身』白水社)
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