ちくまの教科書 > 国語通信 > 連載 > 舞姫先生は語る第一回(3/6)
第一回 『舞姫』のモチーフについて
鈴原一生(すずはら・かずお)
元愛知県立蒲郡東高等学校教諭
第二回 太田豊太郎の目覚め
第三回 エリス――悲劇のヒロイン
第四回 太田豊太郎と近代市民生活
第五回 『舞姫』の政治的側面
第六回 結末
第一回 『舞姫』のモチーフについて
前のページへ 1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6 次のページへ

悪役――鴎外の上司・石黒忠悳

 ここで『舞姫』の「官長」のモデル、石黒忠悳(一八四五~一九四一年)について少し述べておきます。彼は森鴎外との関係では彼をいじめたという悪役のイメージが強いのですが、これは鴎外の側からの見方であって、実際はかなりの人物であります。苦学力行の末、明治四(一八七一)年、当時の兵部省軍医寮に出仕し、同十三(一八八〇)年に陸軍軍医監となって軍医制度の創設に尽力し、さらに、その確立に多大な功績のあった人で、後に、日本赤十字社社長・貴族院議員を歴任しました。石黒に関するエピソードをひとつ紹介しましょう。

 文久三(一八六三)年(因に鴎外は文久二年生まれ)、十九歳の時、石黒は吉田松陰密航未遂事件に連座して信州松代に蟄居していた佐久間象山を訪ね(前年に蟄居は解かれていた)、初めは象山から門前払いを受けながらも通い続け、その熱意に感動した象山から三日にわたって教えを受け、大いに眼を開かれたということがあります。石黒は当時、尊攘思想の持ち主であり、開明派の象山に対して尊攘論を展開したのですが、当時の最新の知識を持っていた象山にかなうはずもなく、日本の現状と欧米諸国との差を具体的な数字を挙げて示され、将来自分が何をすべきかを自覚したと述べております(『懐旧九十年』岩波書店)。ここからも石黒が単なる軍医を超えた大人物であることがわかります。

 この軍医監・石黒がベルリンに到着したのは明治二十(一八八七)年七月、ドイツ西南部のカールスルーエ(現バーデン・ウュルテンベルク州)で開催される第四回万国赤十字国際会議に日本代表として出席するためでした。鴎外はその通訳として参加しました(この経験は『舞姫』の中に生かされている)。しかし、欧州中心のこの会議は、アジアなど後進地域に対する差別観が非常に強かったのです。憤激した石黒は、鴎外に命じて反論の演説をさせました。そして石黒は有能にして忠実なる部下に対して大いに満足したのです。ですから二人の関係は良好だったのです。

 ところが、先に紹介した石黒の日記にもあるように、鴎外に「情人」がいることが分かりました。当時、留学生に所謂、「情人」(現地妻)がいるのは珍しいことではなく、むしろ「常識」でした。無論、石黒にもいましたし、鴎外の妹・喜美子の夫で、やはりドイツに留学し、後に東京大学医学部教授となった小金井良精(よしきよ、一八五八‐一九四四年)にもいました。ですから、七月五日の日記の記述は、恐らく帰国の車中で任務を終えた気楽さから互いの懴悔話を始めたのでしょう。石黒は抜かりなく始末をつけてきたと思われます。「愴然」とは「いたみかなしむさま」と『広辞苑』にあります。上司である石黒にとって何らかの同情すべきことがあったのでしょうが、立場上これを認める訳にはいきません。当時、陸軍においては外人女性との結婚はタブーでした。禁を犯せば出世は望めません。石黒は、そうした主張を展開したと思われます。恐らくそれが原因となって、以後の二人の関係は悪化の一途をたどっていきます。

前のページへ 1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6 次のページへ
ちくまの教科書トップページへ テスト問題作成システム テスト問題作成システム:デモ版 筑摩書房ホームページへ 筑摩書房のWebマガジンへ お問い合わせ