ちくまの教科書 > 国語通信 > 連載 > 定番教材の誕生 第3回(6/6)
第1回 “恐るべき画一化”―定番教材はなぜ消えない
第2回 “生き残りの罪障感”―定番教材の法則
第3回 “復員兵が見た世界”―定番教材にひそむ戦場体験
第4回 “ぼんやりとしたうしろめたさ”―定番教材の生き残り
第5回 “豊かな社会の罪障感”―定番教材のゆくえ
野中潤(のなか・じゅん)
聖光学院中・高教諭
日本大学非常勤講師
著者のブログ
BUNGAKU@モダン日本
第3回 “復員兵が見た世界”―定番教材にひそむ戦場体験
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中内功の証言と「羅生門」の世界

 死地を脱して生き残った復員兵という仮設的な読者を想定すると、死体から髪の毛を抜く老婆が描かれている「羅生門」なども、まったく異なった読まれ方をした可能性があることがわかります。

 たとえば、佐野眞一さんは、次のような中内功の証言を紹介しています。

 戦場で戦友が死ぬと兵士はどういう行動をとるか。中内はいう。
 「すぐに死んだ兵隊の靴をぬがし、自分のととっかえて履くんですわ。古くなった自分の靴は水洗いして小さく刻み、飯盒で煮て食べる。飯盒を失ってからは、水にひたしてガムのように噛みつづけました」(中略)
 指揮系統は混乱し、兵士たちは百鬼夜行の状況にあった。眠ればいつ味方に殺され、屍肉をあさられるかわからない極限状況だった。
(前出『カリスマ』)

 中内功が語っている戦場の苛酷な現実は、死体から髪の毛を抜き取っていた老婆の衣服を奪って闇に消えた下人が生きる平安朝末期の現実と、とてもよく似ているのではないでしょうか。

 小説の読みは、どのような状況でだれが読むのかによって変化します。「高瀬舟」には安楽死の問題があり、「羅生門」にはエゴイズムの問題があると言われているわけですが、「敗戦後」という時空の中で、「復員兵」という読者を仮定した時に、その内実はまったく異なった相貌をあらわにしてきます。

 死んだ戦友から「引剥ぎ」をして生き延びた中内功なら、「黒洞々たる夜」へと駆け下りていった「下人の行方」を知っていたかもしれません。

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