千葉成夫
( ちば・しげお )1946年生まれ。美術批評家。早稲田大学文学部大学院文学研究科博士課程修了(西洋美術史専攻)。フランス、パリ第一大学博士課程留学(同・大学博士号取得)。東京国立近代美術館学芸員、中部大学教授などを務めた。国内外の多くの展覧会企画等にも携わる。著書に『未生の日本美術史』など多数。また個人美術批評誌『徘徊巷』を2002年から(現在第16号迄)刊行。
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「美術」とは何かが問い直される時代にあって、日本の美術家たちは、どのような思想のもとにいかなる創作活動を展開してきたか。具体、ハイレッド・センター、もの派、美共闘、ポストもの派……。戦後40年の日本美術の流れを跡付け、欧米の模倣でもなく、伝統への回帰でもないその逸脱の軌跡の中に、日本固有の「美術」の萌芽を読みといていく。作品や展覧会をもとに論じるだけでなく、針生一郎、宮川淳らの批評や、李禹煥ら作家の思想も追った。「類としての美術」を提唱した鮮烈な批評にして画期的通史、およそ100頁の増補を加えた決定版。解説 光田由里
第1章 「具体」‐アンフォルメル‐「反芸術」(批評の推移
「具体」とは何か ほか)
第2章 一九六〇年代(ハイレッド・センターから「環境芸術」へ
日本概念派)
第3章 「もの派」(「もの」の位相の展開
世界とのかかわりの思想)
第4章 一九七〇年代(美術学生の反乱
類としての美術 ほか)
増補 この先へ(「もの派」の展開と変容
「ポストもの派」の展開 ほか)
2021年9月9日発行の千葉成夫著『増補 現代美術逸脱史 1945〜1985』(ちくま学芸文庫)第1刷に誤りがありました。下記の通り訂正し、お詫び申し上げます。
103ページ・11行目
【誤】ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズおよびその周辺にあった赤瀬川、荒川、工藤、篠原、高松、中西、三木、吉村、風倉らを中心に動いていた
【正】ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ(赤瀬川、荒川、篠原、吉村、風倉ら)、およびその周辺にあった作家たちを中心に動いていた
109ページ・11行目
【誤】グループ結成の話がもちあがり、何度か会合をかさね、篠原有司男を入れることになって、銀座の村松画廊で結成の会をひらく(赤瀬川原平「読売アンデパンダン展」、『調査情報』一九八二年三月号〜六月号)。
【正】赤瀬川によると、ネオダダのグループ結成は一九六○年三月、銀座の村松画廊だったが、「その前からアンデパンダンの会場などで個々の『談合』はもたれた」(赤瀬川原平『いまやアクションあるのみ!』一九八五年)。
246ページ・5行目
【誤】田窪恭二
【正】田窪恭治
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