太宰治賞
第40回

2024/09/18

第40回太宰治賞 贈呈式が行われました
 6月14日(金)、一ツ橋・如水会館にて、第40回太宰治賞(筑摩書房・三鷹市共同主催)の贈呈式が行なわれました。
 
 最初に、三鷹市の河村孝市長が主催者挨拶を行ないました。
 
「太宰治賞は三鷹市と筑摩書房の共催となってから26回目、全体では40回目となります。
 三鷹市はご存知のように太宰治が亡くなった場所ですが、同時に太宰治が生きて生涯でもっとも多い作品数を書いた街でもあります。太宰が住んだのは疎開などもありましたので、正味七年半くらいですが、家庭も持ち、『人間失格』をはじめとする数々の代表作を書き、充実した生活を送られたと思っています。ですから、三鷹市は太宰治をこれからも応援し続けますし、その一環として、太宰治賞を筑摩書房さんと共催しています。
 例年、選考会を三鷹市の井心亭という茶室で行なっていて、選考の議論を特等席で聞かせていただいています。選考委員の方々のお話をうかがって、こういう読み方があるのか、この小説の良さはそこだったのか、などプロの作家ならではの着眼点の鋭さにたいへん勉強させていただいています。あとでご紹介があると思いますが、今年も素晴らしい作品を選んでいただきました。どうもありがとうございます。
 三鷹市と筑摩書房の太宰治賞の共催が始まったのは、一昨年お亡くなりになりましたが前々市長の安田養次郎さんの時でした。そこから前市長の清原慶子さん、そして私が引き継いで三代続けて継続させていただいています。
 その間、2008年に太宰文学サロンを開館しまして、先日、来館者が20万人に達しました。また太宰の研究者の山内祥史氏より二千点を超える資料を山内祥史文庫として寄贈していただいたり、筑摩書房で晩年の太宰の担当者だった石井立さんのご遺族からも300点ほどの資料を石井立文庫としてご寄贈いただき、その展示も8月末より三鷹市美術ギャラリーにて行ないます。
 また、本日もご住職においでいただいている、太宰のお墓がある禅林寺はいまに至るまで多くの太宰ファン、文学好きでにぎわっております。
 このように、太宰治を中心とした輪がさまざまに広がって、いまに至っていると思います。これからも三鷹市および太宰治賞が新しい文学の息吹を発信していく場になればと考えておりますので、皆様にもぜひ今後ともお力添えをお願いいたします。本日はどうもありがとうございました。」
 
 続いて、筑摩書房・喜入冬子社長が挨拶を述べました。
 
「本日は、ご多忙の中、また真夏のようなたいへんな暑さの中、第40回太宰治賞贈呈式に多数の方にお集まりいただきありがとうございます。受賞されました市街地ギャオさん、おめでとうございます。選考していただいた選考委員の皆様にも感謝申し上げます。
 
 昨年から今年にかけて、太宰治賞に関連して嬉しいニュースがいくつかございました。
 まず、昨年10月に第21回の受賞者で今回も選考委員を務めていただきました津村記久子先生が『水車小屋のネネ』で谷崎潤一郎賞を受賞されました。また11月には昨年、第39回の受賞者である西村亨さんが南日本文化賞奨励賞を受賞されました。そして、今年に入って6月3日に第36回の受賞者である八木詠美さんが受賞後第一作の『休館日の彼女たち』で河合隼雄物語賞を受賞されました。太宰治賞からはばたいた才能がさまざまに活躍されているのを本当に光栄に感じています。
 今回が40回目となる太宰治賞ですが、1965年の第一回は、なんと「受賞作なし」でスタートしているんですね。以降、途中で中断はありましたが、1999年の第15回から三鷹市との共催によって復活し、たくさんの方々の努力によって今回の第40回まで続いてきています。その成果が、ここからデビューした作家のご活躍というかたちで表れていると思います。市街地ギャオさんもこうした先輩方に続いておおいに活躍されることを期待しています。
 こうした嬉しいニュースの一方で、出版業界はあいかわらず低迷が続いております。なにしろ本屋さんが次々と閉店しております。今年の4月には、全国の1/4の自治体に書店がなくなっているという衝撃的なニュースがありました。生活の動線上に本屋がないということは本離れに拍車をかける事態です。そこに本屋があるからちょっと覗いてみる、覗いてみたらちょっと面白そうな本があって買ってみる、本屋がなくなるということはそういう経験がなくなってしまうということです。
 先日発売された三宅香帆さんの『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』という集英社新書が話題を呼んでいます。乱暴なまとめにはなりますが、かつては本を読むことが出世につながり人生の幸福につながると思われていた、けれどもいまはネットなどでコスパのよい情報が手に入るのでノイズの多い本のようなメディアは直接的なメリットが見えづらくて敬遠されているのではないか、ということが書かれていました。
 もしそうなのだとしたら、なんとつまらないことだろうと思いました。本というものはもちろん読んでから買うわけではないので、コスパがよいわけはありません。誰かが面白いと言ってもそれが自分にとって面白いかはわかりません。でも、思いがけない喜びや楽しみが味わえるかもしれないし、目の前の問題解決に役に立たなくても、いずれなにかのヒントになったり役に立ったりする可能性はあるわけです。
 ここにお集まりの皆様はいずれも本好きの方々だと思いますので、言わずもがなでしょうけど、そうした出会いの場を提供してくれる本屋さんはとても大事です。出版社の者として作品と読者が出会う場所が今後もきちんと維持されることを願い、本屋さんと共にがんばっていきたいと考えています。
 今回受賞された市街地ギャオさんは、既に毎日新聞でのインタビューがありまして、本日毎日新聞デジタルで公開されたそうです。紙面にも近日掲載とのことで、幸先よいスタートをきられた市街地さんの今後の活躍とここにお集まりの皆様のご健勝を祈願しまして、わたしのご挨拶とさせていただきます。本日はどうもありがとうございました。」
 
 引き続いて、選考委員を代表して奥泉光氏が選考経緯について述べられました。
 
「今回、最終候補となった作品は四作ありまして、毎回申し上げているんですけど、作家にとって公募新人賞の目的は最終候補に残ることなんですね。というのは、受賞するしないはもちろん大きな違いですけど、受賞しなくても(もちろん受賞しても)、次の作品、その次の作品とどんどん書いていかなければならない。その意味では受賞しようがしまいが最終候補に残った段階で横一線と考えていいと思います。なぜそれをこんなに強調するかと言うと、ひとというのは自分の経験を絶対視しがちなもので、わたしも最終候補で取れなかったところから作家人生をスタートさせているからですね(笑)。しかし、こうして現在まで作家活動は続けているわけなので、むしろ受賞しないほうがいい! とすら言いたくなるんですが、やっぱり取ったほうがいいですね(笑)。
 今回の四作品ですがすべて『太宰治賞2024』というムックに掲載されますので、ひとつひとつについて詳しくは触れません。市街地ギャオさんの「メメントラブドール」が受賞作となったわけですが、この作品については議論の中で、最初からこれが圧倒的にいいというわけではなく、正直、わたしも最初はこれがいいとはあまり思っていなかった。
 ところが、この作品のことを喋っていると、だんだんよく思えてくる。お読みになるとわかるんですが、ネット文化のジャーゴンがちりばめられていて、非常に読みづらい。知らない言葉が大量に出てきて、それを検索しながら読むのでなかなか進まない。加えて、著者名も「市街地ギャオ」と変わっていて、最初、不吉な予感がしました。こういうふざけたペンネームのひとの作品ってあまりよくないことが多いんです。しかし、最後まで読み通してみると、案外しっかりしている小説ということがわかってくる。
 一人称で書かれている小説で、主人公は男性の同性愛者で、マッチングアプリでノンケ喰いをしたり、男の娘コンカフェで働いたりしながら、昼間は普通のサラリーマンをしています。冒頭からノンケの男との口淫が始まるように、ある種、性の獣といったような主人公の行動がずっと書かれていくんですけど、その中におかしみや哀しさが浮かび上がってくるんです。主人公は自分の欲望を満たそうとして行動するんですけど、それを見つめる自分というか、欲望のための行動に対して、不安やおかしみや哀しさを感じている、そういう奥行きが伝わってきます。
 出てくる言葉がわからないとさっき言いましたけど、これも個人的には評価できるポイントです。特定のカルチャーを共有しないひとには、なかなかわからない。逆に特定のカルチャーで使われる言葉をどんどん小説世界に持ち込んでいる。しかし、このやり方はむしろ二〇世紀以降の小説としてはオーソドックスなやり方とも言えるんですね。たとえば、夏目漱石の『草枕』がそうです。漢籍や芸術論の知識に基づく用語が説明なしにばんばん出てくるので非常に読みづらい。しかし、ひとつひとつの言葉や概念を調べて読んでいくと、ちゃんと新しい文学世界を創り出している。「メメントラブドール」はパッと見はだいぶ違いますけど、ほぼ同じことをしていると言えると思います。
 田中康夫さんの『なんとなく、クリスタル』なんかもそうですね。『なんとなく、クリスタル』は八〇年代の消費文化を示す固有名が膨大に出てきて、それに詳細な註を付けたことで話題になりましたが、その註を取ったのが「メメントラブドール」とも言える。註はなくても、いまはネットで検索できるので必要ないわけです。
 そのように作品が理解できてくると、「市街地ギャオ」というペンネームもなんとなく馴染んできて「市街地ギャオ」と口にするのが楽しくさえなってくる(笑)。なので、皆様はわたしを信じて、読みづらいと思われるでしょうが検索しながら読み通していただけると、そこにたしかに新しい小説世界があるのを感じられると思います。
 さらに言いますと、その小説について語ることがより一層その小説世界を広げていく、そういう力をこの作品は持っています。そうやって重層する言葉のネットワークの中で、だんだん輝きを帯びていく、そんな小説である可能性がある。
 今回の太宰治賞は非常によい受賞者を得ることができた、そのように思っています。市街地ギャオさん、また他の最終候補者の皆さんの今後の活躍を期待します。」
 
 表彰状、正賞及び副賞授与のあと、市街地ギャオ氏が受賞の挨拶をしました。
 
 
「このたびは、このような栄誉ある賞をいただき、そして、このような素敵な場を用意していただき、本当にありがとうございます。
 小説を書くということは、大阪の自宅でパソコンと向き合うこと、それ以上も以下もなかった僕が、自分の書いた小説に導かれて、こんな壮大な世界まで来てしまったことに、今でも夢の中にいるような不思議な心地です。
 スピーチをするにあたって、改めて、そもそもなぜ自分は小説を書くのだろう、と考えてみたのですが、うまく考えがまとまらなくて困ってしまいました。
 それっぽい理由ならいくらでも思いつきます。でも、そのすべての理由がどこか嘘っぽく、作り物めいている気がして、どれもしっくりきませんでした。
 どうしたものかと困っていたとき、敬愛しているあるアーティストの言葉を思い出しました。
 すべての動詞には「生きる」という意味が含まれている。
 歩くことも話すことも食べることも、死ぬことさえも、いま生きているという状態があるから成り立つことなのだと、彼女は言いました。
 であれば、書くことに理由なんて要らないのかもしれません。書かずにはいられないものがあるから書く、というのは、生きているから書く、もっと言うと、死んでいないから書く、それだけのことなのかもしれません。
 彼女はこうも言いました。言葉は借り物で、借りた後は返さなければいけない。
 僕は、誰かからもらった大切な言葉を、形や色を変えて別の誰かに手渡すときにいつもこの言葉を思い出します。
 僕は特別な人間ではないから、これまで出会ってきた人やものによって自分自身が形作られています。外からもらってきた言葉が僕そのものです。誰かにあげられる言葉というのは、かつて僕自身が救われてきた言葉に他なりません。
 小説を書くときも同じで、今、僕の体が生きているこの世界で借りてきた言葉を、書くことで返している、ずっとそういう感覚で小説を書いています。
 返す先は小説の中の人たちで、これは自分であって自分でない存在、性別や年齢や指向や属性、何もかもが違っていても、書いているときはやっぱり僕自身であるような気がしています。
 なのですが、不思議なことに、この人たちは僕のものではない言葉を話しはじめるときがあります。書いた瞬間には僕自身の言葉だと認識していたはずのものまで巻き込んで、最後にはすべてがその人たちの言葉になっていく。小説が自分の手を離れていくのは、本当の意味で小説に言葉を返すというのは、きっとその瞬間なのだと思っています。
『太宰治賞2024』に寄せる受賞の言葉について考えていたとき、最初に思い浮かんだのは自分が過去に書いた小説の、主人公の言葉でした。今回の受賞作もそうですが、その小説の主人公も、僕自身とは年齢も性質も違う、そしてたぶん性的指向も微妙に違っている人です。
 その主人公が日常の中でなんとなく呟いた言葉が、受賞の言葉について考えている自分自身の心と完全に一致して、だからその言葉をそのまま一行目に置いて、続きを書き始めました。
 これは、小説が僕に言葉を貸してくれたんだと、ずっと好きだった人にやっと振り向いてもらえたような気持ちになりました。
 こんなことを言うと傲慢に響いてしまうかもしれませんが、僕は、まさか自分の人生で小説の賞をいただけるような日が来るとは本当に思っていなくて、新人賞にも、一次選考を通過したら一生の思い出になるな、くらいの気持ちで応募していました。
 なので、今のこの状況はまったく想像もしていなかった本当に大変なことで、そんなときに、自分の小説が自分に振り向いてくれて、言葉を貸してくれたということが、本当に嬉しかったです。
 小説が市場に出回るということは、いまの自分には想像できないくらい多くの人に作品を届けるチャンスをいただけるということです。
 これからも、僕は書くことでこの世界から借りてきた言葉を小説に返していきたいです。
 そして、これからは、その小説が、届いた人たちの中になんらかの言葉を残すことができるのかもしれない。それはかなりすごいことなんじゃないかなと、想像するだけで武者震いをしてしまいます。
 市街地ギャオはまだまだ荒削りな書き手です。だから、もしかしたら読んでくれる人の中に言葉を残せないことの方が多いかもしれません。だけど、僕は既に小説を通してこんなにも素敵な経験をしてしまったのだから、後は自分が成しうることを研ぎ澄ますしかないのかなとも思います。
 これからデビュー作が発表されますが、ここで終わらないように、もっともっとたくさんの人たちと言葉で繋がれるように、精進してまいります。本日お越しのみなさま、お仕事の依頼をお待ちしております。
 最後に、みなさん、今日はこの場にきてくださって本当にありがとうございます。短い時間ではありますが、おひとりおひとりとお話しできれば嬉しく思います。」
 
 そのあと、記念パーティーが開かれ、閉会時間を少し超過するくらいの大賑わいとなりました。お越しいただいた方々に篤く御礼申し上げます。
 

*選評と受賞作、それに最終候補作品は『太宰治賞2024』にて読むことが出来ます。

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