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文章に即して古典を読む

『竹取物語』冒頭を読む(その1)

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●物語の発端を示す係り結び

 それでは、もう一つの係り結び「その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。」の意味はどこにあるのか。これは事件のはじまり、発端を強調する係り結びである。この文に先行する三文は、物語の導入部になっている。

 今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。

 冒頭の一文は、時と場と人物を示している。「今は昔」で、物語の時を示す。「竹取の翁」は、言うまでもなく人物である。そして場でもある。竹を取る人間が町中に住むわけはない。竹の生えている野や山の近くに住んでいることは明らかである。つまり、冒頭の一文は物語における時・場・人物をすべて説明している。続く「野山にまじりて竹を取りつつ、よろづのことに使ひけり。」で、翁の仕事をさらにくわしく説明する。竹を取るだけではなく、それを加工して生計を立てていることが示される。後出の「われ朝ごと夕ごとに見る竹の中におはするにて知りぬ。子になりたまふべき人なめり。」(『精選国語総合 古典編 改訂版』22頁5行目/『国語総合 改訂版』236頁5行目)という「子」と「籠」の掛詞の伏線がここにある。そして、前述した名前を示す文である。時・場・人物という導入部の三要素が、ここで語られているのである。

 そしていよいよ物語は動き出す。

 その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。

 翁が日々見る竹は光ってなどいない。根本が光る竹を見つけたことは、いつもとは異なる非日常的な出来事である。まさに事件のはじまりである。ここに係り結びを用いることで、事件のはじまりである非日常性が強調される。翁の注意を、そして読者の注意をも「もと光る竹」へと向けていく。ここでの係り結びは、読者に事件のはじまりを指し示す働きをしているといえるのではないか。

 「ぞ・なむ・や(やは)・か(かは)」は連体形、「こそ」は已然形で結ぶ、といった係り結びの文法的説明だけでなく、そこに係り結びが用いられている意味を考えていく。それは物語を表現に即して読み解いていくことである。そのような視点が授業に持ち込まれたとき、古典の授業は生徒にとって魅力あるものになっていくのではないだろうか。そしてそのような読み方は、現代文の読みにも生かされていくはずである。また現代文で鍛えられた読みの力が、古典を読む力としても生かされていく。現代文の授業と古典の授業とがクロスしていくのである。そうなってこそ古典は、その学ぶ意味を鮮明とすることができるのではないだろうか。

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