まえがき──この本を書くわけ
I 幼き日々の残照
イナゴとバッタ
桑の葉ものがたり
あめつちのうた
コメを食べるとアタマが悪くなるか
II モンゴル研究からシベリアへ
一九五〇年代という時期
税務署のアルバイトと東京外語の日々
最初のモンゴル旅行の思い出
最初のブリヤート
モンゴル語の正書法
「独立国」トゥバとの出会い
III ドイツからフィンランドへ
ぼくの二回目のドイツ留学
ドイツの冬
ケルンのピエモン書店
IV 道草の数かず
ゲオルク・フォン・デア・ガーベレンツと荻生徂徠
シューハルトと亀井先生の「学学」
「日銀の弟」氏
韃靼とタタールのものがたり
いわゆるタタールのくびき
日本のタタール人
タタール・ステーキの問題――サナダムシ
ぼくの読書のはじまり
スターリンとマル
千野栄一と亀井孝
谷垣実のメンタ
シュンちゃんといういたずらっ子の話
ナチンと馬たち
二人のスパイ
シャマニズムとカミツレソウ
トロッキーとドン・ファン
アイクラかアイネックか
V クレオール語研究の初しごと
ある出版人とぼくのクレオール語研究
池田恒雄最後のしごと――小泉八雲の全訳刊行
ドイツ人はみなオシ(唖)か? かれらの話すことばはオシ語(唖語)なのか?
VI 抵抗する言語──ウクライナ問題と言語学
言語から国際状況を考える
メイエ『新生ヨーロッパの言語』
ことばの数は増え続ける
ウクライナ語はロシア語の方言か?
アウスバウ――方言からの独立へ
独立を求めてたたかう方言
「文明」から排除される「民族」
文明主義からの脱出とソシュール
文化領域の巨大な変化の中で
文明語と文化語
VII ノモンハンのたたかい──モンゴルの存立
ノモンハン戦争八十五周年に寄せて――歴史にささったトゲ
遊牧民と家畜の運命 黄砂と花粉症――あるいは遊牧有害論
あとがき