高田貫太
( たかだ・かんた )高田 貫太(たかだ・かんた):1975年福島県生まれ。99年、岡山大学大学院文学研究科史学専攻修士課程修了。2005年、大韓民国慶北大学校考古人類学科博士課程修了。文学博士。現在、国立歴史民俗博物館教授・総合研究大学院大学教授。専門は日朝関係史の考古学。主な著書に『アクセサリーの考古学――倭と古代朝鮮の交渉史』(吉川弘文館)、『海の向こうから見た倭国』(講談社現代新書)、『「異形」の古墳――朝鮮半島の前方後円墳』(KADOKAWA) などがある。
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日本史の常識をひっくり返す!
外交の使者のみが倭へ来たのか
鉄器の生産や馬の使用の源流とは
日本列島の土器が朝鮮半島でみつかる理由とは
海を渡ったのは本当は誰だったのか
今から1600年ほど前、倭の王権と各地の有力者は、競い合いながら朝鮮半島と交渉を重ね、みずからの治める地に渡来人を招き寄せていた。
海を越えて倭にたどりついた渡来人は、訪れた地で地元の民と共生しながら、乗馬の風習、鉄器や須恵器の生産、漢字の使用など、多様な技術と文化を伝えた。
一方、朝鮮半島に渡った倭人もおり、そこに定住するなど盛んな交流がなされていた。
こうした渡来人の姿から、古代の相互交流の実像にせまる。
序章 海を越えて移動、移住する
第一章 古墳時代の日朝関係
1 韓と倭――三世紀後半まで
2 王権間の通交――四世紀
3 関係の多角化――五世紀前半
4 緊迫する情勢――五世紀後半
5 社会の興亡――六世紀、加耶の滅亡まで
第二章 朝鮮半島から倭に渡る
1 渡来人とは誰か
2 倭に渡り来る
3 担った仕事、もたらした文化
4 ともに暮らす
第三章 渡海した倭の人びとを訪ねて
1 旅立ちの前に
2 加耶の海域
3 栄山江流域社会へむかう
4 西海岸をつたって百済まで
5 旅路で出会った倭の人びと
終章 名もなき者たちの日朝関係
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