松田真希子
( まつだ・まきこ )松田 真希子(まつだ・まきこ):1973年、広島県生まれ。専門領域は移民等のマイノリティの言語文化継承教育、コンタクトゾーンのコミュニケーション。金沢大学留学生センター、融合学域教員を経て東京都立大学人文社会学部教授。博士(学術・一橋大学)。著書に『ベトナム語母語話者のための日本語教育』(春風社)、『日系をめぐることばと文化』(共編、くろしお出版)等。
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ネイティブみたいに
話せなくて
大丈夫!
“正しさ”や“努力”にとらわれない、
言語学習サイコウ(再考・最高)。
外国語の学習は、多くの人に「良いこと」と信じられているが、正しい発音や流暢さ至上主義、ネイティブ志向、努力神話……等、学習者に劣等感や罪悪感を生む「呪い」も孕んでいる。
本書はそうした言語学習の副作用を指摘し、言語やことばをインストールできるシステムではなく、社会的な活動のための人間らしい営みとして捉えなおす。
ことばは硬直したものではなく、流動的で柔らかく、世界の見え方を歪めも解放もする存在である。
学習者が自由に、そして幸せに学び、より豊かな世界をつくるための方法論を探る。
もっと自由に、幸せに「学ぶ」ために
──「ことば」との関係を考える
…目次より…本当はこわい言語学習/「理想の話者」の呪い/上級は学習の成功者、初級は学習の失敗者なのか/世界は「正しくない」言語で満ちている/旅人としての教師・住人としての学習者/自分のことばを脱植民地化すること……
はじめに ―― 本当はこわい言語学習
言語学習の副作用/この本での「言語」と「ことば」
序 章 「ことばを学ぶ」を考える前に
言語は世界をありのままに写すものではない/習熟するほど見えなくなってしまう世界がある/言語に習熟すると疑えなくなる世界がある/言語学習は私たちに呪いをかけ神話をつくる/システムと奴隷/迷惑の呪い/言語学習の呪いとは/この本のポイントと前提
第Ⅰ部 言語学習の呪い
第1章 ことばは「もの」という呪い
言語学習は、ことばを「もの」化する/言語教育の商品化/銀行型教育とは?/ドネルケバブと納豆/言語は個人の「もの」なのか?/ことばの「もの」化はアイデンティティの「もの」化/構造主義言語学の限界/ことばと言語教育の工場化・工業化/スケーラビリティから自由になる
第2章 「理想の話者」の呪い
「理想の話者」はどこにいるのか?/「理想」が実現しない!/クラス内言語学習と言語不安/人はなぜ言語学習をするのか/「理想」のグラデーション/「個人の努力次第」ではない/理想の話者の呪いから醒めるために
第3章 レベルの呪い
ヒエラルキーの最上位はネイティブスピーカー/優劣性の呪い/サバルタン(沈黙者)の呪い/構造の呪い/「〇〇コース」という呪い/「努力」という呪い/上級は学習の成功者、初級は学習の失敗者なのか/いつから「そのことばが話せる」と言ってもいいのか
第4章 ネイティブの呪い
ネイティブとノンネイティブ/「○○語がお上手ですね!」/ノンネイティブとは誰のことなのか/「ネイティブのように話さなければならない」という呪い/ネイティブはモデルじゃない
第5章 正しさの呪い
言語の「正しさ」は誰が何によって決めるのか/「訂正」が呪いをつくる/赤ペンは呪い棒?/「○○語警察」/世界は「正しくない」言語で満ちている/教科書はもっと疑われなければならない/正しさの呪いを解くために
第6章 言語学習の呪いから自由になるために
コンタクトゾーンを意識する/責任ある言語学習/「言語学習をしない自由」の保障を/ことばを疑うことは社会を疑うこと/疑いつつ信じる
第Ⅱ部 ことばを学ぶという希望
第7章 ことばは「つながり」を育む
ことばを学ぶには人とつながらなければならない/ことばの実践コミュニティの正式な参加者になる/興味関心でつながる/動的・多様・多元的な言語学習観/トランスランゲージング教育学
第8章 日常のことばの活動を豊かにすること
日常にあることばの活動/日常のことばとは/日常を無駄で満たす/日常的実践の中で批判性と戦術を磨く/日常のことば戦術と戦士たち/守りたい日常のことばを問いなおす
第9章 ことばの汽水域を育む
ことばの汽水域とは/ブリコラージュ、モンタージュ、コラージュ/食とことばの汽水域/きれいな水と濁った水/自然と人間の汽水域の声をきく/「わたし語」という汽水域
第10章 創造的なことばの活動ができるようになること
クリエイティブラーニング/蟻鱒鳶ル ―― 誤変換を楽しむ/ボケとツッコミの効能/マツタケとマイタケ―― 外国語で漫才を
第11章 ことばの冒険者・旅人になる
旅人はハプニングを起こす/パッケージツアーから自由旅行へ/複言語教育実践による言語意識活動/旅の土産話に学ぶ/旅人としての教師・住人としての学習者
第12章 ことばを学ぶとは、社会を変えること
鎖に気づき、鎖を壊す/ことばが変われば、社会も変わる/自分のことばを脱植民地化すること/藤井風氏の音楽活動にみる脱植民地化
終 章 ことばを学ぶとはどういうことか
ことばとは社会そのもので、私たちのこと/ゲーム・修行・瞑想としての言語学習もあっていい/いろいろな「呪い」、いろいろな「ことばを学ぶ意味」がある/「できない」ができるという希望
あとがき
注
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