寄稿

2014/04/01

【特集 ちくま文庫30周年記念】 クリーム色の彼ら/西田藍
 クリーム色の背表紙、特別意識することはなかったが本棚を眺めると案外並んでいる。わたしに寄り添ってきてくれた文庫本が並ぶ。積読本はわたしの未来であり既読本はわたしの過去、わたしを形作った血肉である。その色は控えめで大人なイメージ、大人のわたしを形作るはずだと思い手にとったのであった。昨年、先月、昨日でさえも、過去のわたしは少女時代と同化し今この瞬間のわたしからは遠い。この先の大人になるはずのわたしへ、道標になりますように、そう思っていたり、思っていなかったりしたのかもしれない。
 脳みそを磨りガラスが囲っていて誰かが中から引っ掻いていていつも嫌な音がする。ガラスを割って、出ておいでよ。でも難しいから、本をあてがって、嫌な音を気にしないようにする。いつのまにかすべての過去は少女時代だ。少女時代、あの色に最初に出会ったのはいつであろうか、遡るとその作品はコミックだった。
 高野文子『るきさん』は軽やかだった。都会で暮らす自立した女性。バブル真っ只中で軽やかに生きる、るきさん。一週間で一ヶ月分の仕事を済ませて、あとは図書館に行ったり、趣味の切手収集をしたり。芯を持ち自由に生活する。何度見てもその先まで目で追ってしまう線、色と線。全ページカラーの華やかな文庫本。なにもかも違う生活を垣間見るその時間は贅沢で、でも、遠い、あまりにも遠い。読後には、そういうことってなんにも関係ないのだと気付いた。距離の近さは何の担保にもならない。
 ああ、はっきり見える、と感嘆したのは武田百合子『遊覧日記』で、これはアイドルを始めてから読んだ本。この本をテーマに寄稿依頼が来たのだ。当時、地方で日雇い派遣をしていて、その日はモデルルームの受付。誰も来ず、午後、少しくらいならと本を開いた。郊外。煤けた道路、照った駐車場、わたしがそこから見える景色はぼやけ、くすんでいたが、武田百合子の文章を覗くと、くっきりピントが合っていて、鮮やかだった。大型店舗、休耕田、空き地。誰も歩いていない道。学生しかいない駅まで着慣れないスーツで歩く。いつもは、そういう夕闇にどうしようもない悲しさを感じていたけれど、武田百合子の眼差しを知ったその日は、楽しかった。車から見るための大きな看板も、きらきらして綺麗だと思ったし、開発中でパンプスが刺さる砂利道だって軽々歩けた。つまらない昨日にも面白味を感じた。ページに時給の計算が書き込んであるのはわたしの俗っぽさとして、その横に「整えられていない人間の営みにほっとする」とメモしてあった。そうだ、正しさに潰されそうになっていたんだった。
 らしからぬ本かもしれないが、塩山芳明『出版業界最底辺日記』も思い出深い。エロ漫画編集者「嫌われ者の記」、90年から05年までの日記だ。90年代前半、田舎のゾーニングの緩い本屋では、90年の有害図書指定騒動はどこ吹く風、子供の見える位置に並んでおり、わたしは幼児向け絵本を選ぶふりをして表紙を眺め、たいへん興味を持った。当時の内側の話も知りたいものね、と手に取るも、そんな理由で手に取ったのを反省してしまうほど面白かった。布団の中でケラケラ笑った。これだって、形は違えど、過去のぼやけた姿にピントを合わせる作業のひとつであったのかもしれない。
 油断すると磨りガラスは分厚くなって迷宮を作り上げ、嫌な音は増幅する。直接外を見ることがなかなか叶わないから、わたしは読むのだろう。外へ、街へ、内へ。次はどれを持って行こうかと迷う、迷える幸せを、クリーム色の彼らが後押しする。これからも、寄り添ってね。

(にしだ・あい アイドル)

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