ちくまの教科書 > 国語通信 > 連載 > 「高ため」を黙読する授業第一回(2/6)
(この連載は、機関誌『国語通信』1996年春号~1999年春号に掲載された文章を転載したものです。)
服部左右一(はっとり・さういち)
愛知県立小牧高等学校教諭
元愛知県立小牧工業高等学校教諭
『高校生のための文章読本』編者
筑摩書房教科書編集委員
長年「表現」分野の指導メソッド開発に携わる。
第1回 わたしのアンソロジー
第2回 密室をつくる
第3回 逆習シール
第4回 テキストを編集する
第5回 モーツァルトへの手紙
第6回 教室に風を入れる
第1回 私のアンソロジー
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2 読むことの模索

 国語で音読ができないとなると、致命的である。作品への興味付けや作者紹介を一通りすますと、作品自体を扱わないわけにはいかない。本文を読むことがどうしても必要なのだ。音読によって作品が教室の共通の財産になり、全員が同一のスタートラインにつくとの暗黙の前提があるからだ。しかし、この前提がなくなるとどうすればよいのだろうか。授業はスタートからつまずいてしまう。

 手をこまねいているわけにはいかないから、できるかぎりの手立てを考えてみた。たとえば、本文の通読を予習ということにして授業では生徒による音読を省く。教師の範読だけですます。ある程度読める生徒だけに読ませる。などの方法が考えられるが、作品が長くなるとお手上げである。

 これまでよく行なってきたのは一段落だけを読む方法である。生徒が音読し、教師が語釈や解説をする。その段落が終わると、次に移る。これだと読む文章もみじかく、一人の生徒が読むだけだから、比較的スムーズにいくことが多い。と思われるが、実際はこれでも大変であり、先に述べたように音読することの限界を感じるようになった。

 古典教材だと事情がやや違ってくる。授業での音読も一段落ずつ読むことが一般的だし、むしろ数行ずつ、ときによっては一文一文読む方が語釈や文法の学習に向いている。語釈や文法の学習に重点を置けば、音読の困難さを回避する授業を進めることもできる。そのため音読の時間が少なくてすむ教材を選ぶようになった。古典でも短い教材、しかも一時間で一区切りつく断章やことわざの類いに偏ってしまうのが最近の傾向となった。

 家庭での予習を期待できないのが実情である以上、授業中に何とかしなければならない。と思案するものの、音読を聞いていないから分からないという生徒のなげやりな態度に、こちらも開き直って一方的に講義形式の授業を押しつける。生徒と教師の意地の張り合いである。

 教材という媒体を通して生徒と教師の世代間の溝を埋めるはずの授業が、かえって溝を深めるものになっていく。これではいかにもさびしい。生徒の一人ひとりが少なくとも本文を一度は読んだという手応えがほしい。ここ数年の間この思いが強くなっていた。

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