著者インタビュー

2010/01/06

大塚ひかり・江川達也対談 源氏物語はやっぱりエロい

江川:いよいよというか、やっとだよね。大塚さんの全訳での『源氏』って。
――江川さんも漫画で逐語訳『源氏物語』を始めておられますが、大塚さんの本が一番参考になったとおっしゃっていますよね。
江川:一番ストレートに、『源氏』の核心を言っていた、のが大塚さんなんで。
大塚:つまり、エロの部分?
江川:そう、エロ。エロは昔も今も、変わらないじゃないですか。それをみんなはっきり書かずに逃げている。訳している文章が何書いているかよくわからない。
大塚:一言一句逐語訳するとそうならざるを得ないということはあるんですよ(笑)。実際は相当エロい話をしているんだけど、紫式部はダイレクトな性描写はしていないから。
江川:はっきり書くのも怖いしね。
大塚:ところが江川さんのすごいのは、それをぜんぶ絵にしちゃって……。
江川:俺「直訳」ですよ。作ってませんよ。直訳すればこんなエロいぞっていうのがポイントなんです。こういう絵になったのは、俺のせいじゃない。原作者・紫式部が、描かしてるんだという。
大塚:たしかに『源氏物語』はエロいんですよ。性愛って、『源氏物語』を読む上で、ものすごい「キモ」ですよ。自分の娘を東宮や天皇に入内(じゅだい)させて、産まれた皇子を天皇にすることによって一族を繁栄させようとした、いわゆる「セックス政治」の時代に産まれた物語だから、性愛が栄華の基盤になってる。だからすごいですよ、それに懸けるエネルギーは。父親はいかに男をそそる女にするかというので、一生懸命育てたわけだから。
江川:それはストレートに正しいですけどね。ある意味、生殖から考えれば。
大塚:物語も、まさにそのことを描いている。性愛は政治だったわけだし、一族の命綱だし、生きる道だったんですよ。それを、紫式部は直接描写せずに、代わりに、自然とか天候とか、あらゆるものに託して「エロ」を書いている。あと、物語の中に「催馬楽(さいばら)」や「風俗歌」とか、当時の流行歌がたくさん引用されてるけど、これも露骨にエロい(笑)。こういうものは、当時の人たちはその意味、読めばみんなわかるわけですよ。そのほかにも、和歌の中だと、宿とか、戸とか、何かを容れるものが出てくれば女性器や女を象徴しているし、何かに入るもの、形状がそれらしいものが出てくれば男性器や男を暗示している。直接性描写はせずに、あらゆる間接表現でエロを代弁させる。それが物語の伏線になっているし、物語を牽引していく力になっている。そこがわからないと、『源氏物語』はわからない! だからそこのところを、今回本文の間の随所に置いた「ひかりナビ」という解説でしつこく解説しました。それができたことで、やっと自分が全訳を出す意味が見えてきたところなんですよ(笑)。 ただ、『源氏』は、具体的に書いてないからこそ、エロも増すというのがあって。
江川:それはそうなんだよね。でも、本当に古文がわからないと、それは伝わらないじゃないですか。
大塚:エロいシーンの例を挙げれば、光源氏が紫の上を拉致(らち)同様に自邸に連れてきて寝るところ、幼い紫の上を「単衣ばかりを押しくくみ」なんて表現があるんですよね。寒そうだから下着一枚だけは着せる。それだけで、その前は裸だったと分かる。あ、いやらしいと思う。
江川:いやらしい、いやらしい。
大塚:それを江川さん、すんごい絵にして(笑)。紫式部がダイレクトに書かない部分も、漫画だと絵にせざるを得ませんもんね。
だいたい平安時代のきもの、このコスチューム自体、男がそそられる。髪が長くて、ばっとできるように。
江川:そそるように顔隠してるとかね。
大塚:何重ものひだひだも象徴的で服もいやらしいじゃないですか。
江川:この時代の重ね着はエロいっすよ。和歌もエロい隠語を満載してそそるようにしてるんだよね。濡れるだの、立つだの、花がどうとか芽がどうとか。
大塚:下葉とか(笑)。
江川:そんなばっかりじゃないですか。

大塚:この間受けた取材で、光源氏が末摘花(すえつむはな)を妻にしたのはブスマニアだからじゃないかという観点で言ってくれというのがあったんですけど、ブスとちゃんと結婚する話って、『源氏』が初めてなんですよ。『古事記』では、ブスと結婚しそうなとこまであるんですけど、追い返しちゃうんです。美人な妹とブスな姉と、二人セットで、結婚しないかという話があって。妹は繁栄でお姉さんは長寿をもたらすからというのに、ブスのお姉さんは嫌だと送り返したら、天皇家は短命に終わったとかいう。『源氏』の「末摘花」は、かつてないブスを、美男子と夫婦にしてみようという作家の実験みたいなものもあるんじゃないかと思う。
江川:いや、美人とやっちゃい過ぎると、すっかり飽きて今度はブスに行ったりするんですよ。成熟した社会で男の視点から見ると、もう美人ってパターンができてくる。そうすると、未知のブスに萌える時がある。
大塚:はああ。ブスマニアじゃなくて、美人に飽きたからなんだ。
江川:言ってみればあの当時は、顔を隠している。というのは顔も性器なわけですよ。どう見ても、性器って変な形、グロい。だから逆に、血筋のいい特殊階級の女が、顔見たらすごいと。それに男は、勃起するんですよ。
大塚:高貴な女は親兄弟や夫以外に顔を見せない当時、「見る」=「セックス」ですものね。それで末摘花の場合、その顔がすごい人で、光源氏は目が釘付けになって離せなかった。「“後目(しりめ)”…横目使い…はただならず」って(笑)。
江川:そう。目が離せなくなって、横目でこうやって見ている(笑)。かなり興奮したと思いますよ。それまでが、美人ばっかりだから。いずれにしても成熟した社会だからですよ。『古事記』の時代だと、人生一回の中でできることが限られてくるじゃないですか。美人とたくさんエッチすることはできない。でも『源氏』の時代になると、都にいろんな富が集約してきて、美人も集められる。短期間に普通の経験はできちゃう。そうなると、やっぱりそういう、変わったものを入れていかないと。俺が一番好きなのは、五十七、八歳のばあさんが出てくるでしょ?
大塚:源典侍(げんのないしのすけ)。私も好きですよ。
江川:あそこ、源氏が彼女とやった後にそれを聞いた頭中将が、「その発想は俺にはまったく抜けてた!」って悔しがるじゃない。
大塚:そう(笑)。その手があったかという。
江川:さすが源氏、すげえぜ、じゃあ俺もってその女のもとへ行くじゃない。それで「意外にいいじゃん」って言う(笑)。そういう訳は俺が初めてだと思うけど、ちゃんとそれに当たる文章がある。まさにあれは「やってみたら意外にいい」なんです。
大塚:でも『源氏物語』の源典侍は結構醜悪に描かれてますよね。『伊勢物語』にも、おばあさんとやるというのがあるんだけど、そこのほうが結構きれいなんですよ。
江川:きれいじゃだめなの。エロくないの。
大塚:目のまわりが黒ずんで落ちくぼんでるのがいいんだ。
江川:そう。そっちのほうがエロい。藤壺(ふじつぼ)だって、かわいいから源氏は好きだったんじゃなくて、単に自分の親父の女だったからいつまでも行くわけで。この人、基本的に普通の女にはもうモテてるから、全然萌えない。萌えるのはやっぱり、屈折した愛。それは現代人としてすごいよくわかる。だから成熟したセックスをある程度わかってないと、この時代というのは読み解けないと思います。
大塚:紫式部は人の体験を我がものにして書くという能力があったから自分の体験だけじゃないと思いますが。

大塚:江川さんがすごいのは、ぜんぶ原文がコマの中に書き込んであるんですよね。
江川:基本的に俺は、訳文は不要という気持ちがあるんですよ。原文だけでいい。
大塚:原文主義っていうことですね。
江川:そう。一言一句訳してはいるけど、訳文は、みなさんのためのナビゲーション。俺は本当は、原文だけで読んでほしいわけ。
大塚:同じだ! 私も、古典は原文を読むべきだというのが基本姿勢です。だから「ひかりナビ」。これもナビゲーション。今回全訳をして、取材を受けると、必ず聞かれるのが、「過去にいろいろ文豪が名訳を出している中で、何を参考になさいましたか」。全訳というと文豪がやるものという頭があるじゃないですか。
江川:谷崎潤一郎とか。
大塚:私はいつも江川さんを挙げてます。
江川:それは絵でしょ。
大塚:いや、考えも。訳もいいし。案外文豪の訳って参考にならないんですよね。
江川:全然ならない。その文豪の知的レベルと性的経験知を計るぐらいですよ。
大塚:たぶん私が文豪の訳を参考にできなくて、江川さんを楽しめたのは、さっきも言ったけれど、紫式部がダイレクトには表現しなかった「性」を、漫画では絵にせざるを得なかったからだと思います。文章表現では絶妙に性表現は隠されているけれど、分かったほうが断然面白いもん。
江川:性描写もそうだけど、文豪の訳読んでも、物の位置関係とかがさっぱりわかんない。言葉がただ流れちゃって何にもないんですよ。俺は、絵ですからね。全部わかる。
大塚:例えば朧月夜(おぼろづきよ)が登場する場面でも、どの方向から来るか、それを月がどちらから照らしていたかとか、空蝉(うつせみ)と軒端荻(のきばのおぎ)を源氏が覗くシーンの位置関係とか、絵が付くというのは、ただ事じゃないですよ。
江川:俺の場合、まず、原文のリズムでコマを割ってその中に原文を写本するんです。その時点では、現代語訳はない。次に、絵を入れる。訳は絵を入れたそのあと最後。絵を見つつ、現代語の台詞を考えるんです。
大塚:へえええー!
江川:最終的には、原文で漫画を味わってほしいんですよ。俺に言わせれば、現代語訳は不可能なんです。原文の、この、ほっと胸にくるような感触というのは、今の言葉には残ってないから。リズムとか、韻。音の感触とか、すんごい、いいんだもん。
大塚:本当に、原文の音の感覚はいいですよ。私ね、音読しながら訳しているんですよ。その世界に入り込みながら。訳文の現代語も、あまり原文より長くならないように、リズムや、音数も、原文を尊重しながら訳しているんです。それに、紫式部が随所で、醒めたつっこみをしているのも原文の面白さで、そこらへん、さっき言った、「ひかりナビ」で、詳しく解説してるんです。そりゃ、原文で読むのが一番いいんだけれど、ドストエフスキーとかも、原文で読む人はいないわけだから、その古典が表現している世界観が分かればいいという思いも一方ではあって。でもナビでも、訳文の中でも、これぞという原文は、“ ”で囲って、原文の単語そのものを掲出しているんです。ナビで説明しつつ、やっぱり原文のもつパワーを感じてほしいと思って。当時も、音読して楽しんでたわけじゃないですか。
江川:そうそうそう。例えば英語でしゃべると、日本語しゃべっているときと性格が変わるとか言うじゃないですか。それと同じで、発想が変わっちゃうわけ。
大塚:やっぱり古典脳になるんですね。
江川:そう。脳というか、体全体がこの言葉に馴染んでくると、ぎずぎずした現代人ではなくなるんです。ゆっくり時間が流れてきて、のほほーんと、ほのぼのしてきますよね。
大塚:「いっとき」が「二時間」みたいな世界になるんですね。

江川:俺が勝手に思うのは、『源氏』に出てくる話は、実際に当時頻繁にあった話の数々なんでしょう。この人は、この時代のいろんな話のすごい収集家だったんじゃないかな。
大塚:収集家ですよね。それに、私は紫式部が江川さんみたいに、色恋でいっぱい経験のあった人だとは、思えないのね。紫式部って、基盤に、強い道徳観みたいなのが、あるでしょう? 中国思想に影響されているし。
江川:漢文やってましたからね。
大塚:うん。そういうの知っている上で、エロを書いてるからまた……。
江川:人間が二重構造だったんじゃないですかね。内面は相当、妄想が爆発してた人でしょう。
大塚:紫式部は固い人だし、しかも人の体験も我がもののように感じられてしまう、特異体質なんですよ。『紫式部日記』を読むと不思議な能力があって、水鳥の気持ちにもなっちゃうんです。水鳥はああやって優雅に見えているけれども辛いに違いない、御輿(みこし)をかつぐ駕輿丁(かよちょう)も、肩に食い込んで辛いに違いない。私も同じようなものだって。みんなわがことに感じられるんです。自分自身の経験はそんなになくても、いろんな人の話を見聞きして、みんな自分に置き換えて思うんだろうと。こういう「なりきり能力」があるから、男も女も、端役に至るまでキャラが立っている。本当に『源氏物語』にはリアリティがあると思います。ディテールがものすごく書き込んであるし。リアル過ぎて苦しくて、十年前、心の病になった時は『源氏物語』が読めないくらいでした。これ自分だよと。自分に向き合わせられ過ぎて。「幸せとは何か」ということについての追求が、真剣すぎて苦しいほどにあるんですよ。
江川:そういう特異体質の人が、恋愛事情も、唐の国のいろんな話とかも集めてきて、それをあますところなく入れていて、だからこの人がすごいわけじゃなくて、その時代の宮廷の成熟度がすごかったというふうにも解釈できる。
大塚:とにかく、詰め込んである知識や、引き歌の量もすごい。それについては、当時の貴族にはそういう基礎知識があったんだというふうに言われがちですが、私は違うと思う。だってもう『白氏文集(はくしもんじゅう)』から何から、わけのわからない漢籍、官僚だって読んでなさそうな、そういうのまでもいっぱいひいてあるんですよ。異常ですよ。独りよがりなまでに。そういうのも私は全部、原典に当たって調べましたけど。
江川:それはコンプレックスでしょ。女だってことで馬鹿にされたから、どんどんオタクになって、男だってこんなこと知らないだろうってどんどん出してくるみたいな。そういう人なんでしょうね。
大塚:コンプレックスというか……。
江川:この人、たぶん人の書いたもの読むと、突っ込みまくる人ですよ。こんなの違う、とか、ここは引っ張りが足りないね、みたいな。そういう、知識を物語に取り込んでいくことによって、より、リアルに見せていく。
大塚:たしかに、実在した人物名を入れていったり、よりリアルに見せる工夫はしていますね。ただ、引用に関して言えば、あんまり読む人のことを考えてないような引用も多い。わかろうがわかるまいがいいと思っているんじゃないですか。
江川:それがオタクの真骨頂。わかるヤツだけわかれという。そういうのが真骨頂じゃないですか。
大塚:じゃわかるやつだけわかって、あとは調べてみろ、みたいに。
江川:そう。そうすると読者から、あんなのまで発見しましたよとか言われる。ふふふ、そんなの発見して自慢しているが、これは発見してないぞ! みたいな。チャレンジなんです。読んでいる人の知性への。逆に、読者に向けて、お前、どこまで知ってる? みたいな。それはある意味、紫式部の中での知的ゲームですよね。後の読者じゃなくて、その当時の人達にそういうことを言われて人気を博してさすがだと言われたいという。だから非常にわかりやすい人ではあるんじゃないですか。
大塚:たしかに、『源氏物語』の作者は読者の「質」を求めてますね。「啓蒙」し、挑戦してる部分もあると思う。それとね、紫式部の構成力って、ものすごいってことが、一巻を訳していて最後の最後の校正段階になって、身にしみてわかったんですよ。つまり、にくいほどうまく伏線を張っている。自然現象も、感情表現も、その次の展開と、すべてつながっているんですよ。
リアルで、エロくて、知識満載で、ものすごくうまく構成されていて……圧倒的なパワーのある物語ですよ、『源氏物語』は。

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