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ちくま学芸文庫

ミシェル・フーコー講義集成1 〈知への意志〉講義

——コレージュ・ド・フランス講義 1970-1971年度

アリストテレスが述べた人間における認識への欲望。それに真っ向から異を唱えるニーチェ。知と権力の諸関係をめぐる系譜学がついに幕を開ける。

定価

2,090

(10%税込)
ISBN

978-4-480-51361-8

Cコード

0110

整理番号

-12-12

2026/10/08

判型

文庫判

ページ数

608

解説

内容紹介

アリストテレスが述べた人間における認識への欲望。それに真っ向から異を唱えるニーチェ。知と権力の諸関係をめぐる系譜学がついに幕を開ける。

【シリーズ刊行予定】
1.〈知への意志〉講義(1970-1971) 2.刑罰の理論と制度(1971-1972) 3.処罰社会(1972-1973) 4.精神医学の権力(1973-1974) 5.異常者たち(1974-1975) 6.社会は防衛しなければならない(1975-1976) 7.安全・領土・人口(1977-1978) 8.生政治の誕生(1978-1979) 9.生者たちの統治(1979-1980) 10.体性と真理(1980-1981) 11.主体の解釈学(1981-1982)上下 12.自己と他者の政治(1982-1983) 13.真理の勇気(1983-1984)
※変更になる場合もございます

◆初回出荷分限定で特製しおりがついてきます

目次

『ミシェル・フーコー講義集成』再版に当たっての編集方針
緒言

【一九七〇─一九七一年度講義】
一九七〇年十二月九日
知のテーマから真理のテーマへの移動。アリストテレス以来の哲学史における知への欲望の省略。ニーチェがそうした欲望の外在性を打ち立て直す─『形而上学』第一巻の内的および外的読解。知に関するアリストテレスの理論は、ギリシア悲劇の侵犯的な知、詭弁的な知、プラトン的な想起を排除する─アリストテレスの好奇心と力への意志。知の二つの形態学

一九七〇年十二月十六日
認識と真理との包含関係からの脱却に関する分析のために─アリストテレスにおける真理の漠たる優位。アリストテレスにおいて、欲望、真理、認識は、一つの理論的構造を形成している。スピノザ、カント、ニーチェは、このシステム性を覆そうとする─ケーニヒスベルクの「老中国人」から解放されること、しかしスピノザを抹殺すること─ニーチェは真理と認識との帰属関係を取り除く

一九七一年一月六日
〈ソフィスト〉。その出現とその排除─真理との関係という観点からのアリストテレスによる哲学史。哲学的言説は詩的言説と同じ地位を持ちえない─アリストテレスによって数世紀にわたって通用するものとして打ち立てられた哲学の歴史的存在様式─〈ソフィスト〉の排除によって可能となった哲学の存在─人物像としての〈ソフィスト〉。技術としての詭弁─詭弁術は語の物質性を操る─〈ソフィスト〉の排除におけるプラトンとアリストテレスの異なる役割

一九七一年一月十三日
詭弁と真なる言説─命題学的言説の歴史をどのようにして研究すればよいか─論理的操作対詭弁的操作─言表の物質性、命題の物質性。ルーセル、ブリッセ、ウォルフソン。今日のソフィストたち─プラトンは〈ソフィスト〉という人物像を排除し、アリストテレスは詭弁の技術を排除する─詭弁、そして言説と語る主体との関係

一九七一年一月二十七日
ギリシア社会において真理と結びつく機能を持つ言説。司法的言説、詩的言説─ヘレニズム文明黎明期の資料の検討─『イリアス』との突き合わせ。ほとんど司法的なホメロス的争い。四つの対決から成るシステム─裁判官の至上権と無統制の至上権─ホメロス的裁判、あるいは名高い「アキレウスの盾」の場面

一九七一年二月三日
ヘシオドス─ホメロスおよび司法的言説における真理の言葉を特徴づけること─ギリシアの試罪法の儀礼とキリスト教の異端審問─マゾヒズムにおける快楽および真理の試練─賄賂を貪って裁く王たちのディカゼインに抗してクリネインを歌うヘシオドス─ヘシオドスにおけるディカイオンとディケー─ギリシアの裁判空間におけるクリネインの拡張、新たなタイプの真理の言明─ドラコン法と賠償─ディカイオンと世界の秩序

一九七一年二月十日
ディカゼインとクリネインにおける真理の言葉の分配─正しい秩序の要求としてのヘシオドス的ディカイオンの出現─正義と不正のゲームにおける隣人の役割─試罪法的真理から、知に結びついた真理へ─アッシリアとヒッタイトの知がもたらしたもの。ギリシアにおいてそれらに生じた変換

一九七一年二月十七日
ヘシオドスのディカイオン(続き)─僭主制と貨幣。オリエントからの二つの借用─ギリシア的変換。真理が試罪法から知へと移動し、知が権力の領域から正義= 裁きの領域へと移動する─二つの夢幻的形象の再帰。聖アントニウスとファウスト─前七世紀から前六世紀にかけての農地の危機と政治的変換─重装歩兵と農民。職人階級─挑戦に結びついたホメロス的な真理と、権力に結びついたオリエント的な知が、知に結びついた真理へと変換される

一九七一年二月二十四日
貨幣の制定。貨幣一般なのか、それとも複数の貨幣なのか─ギリシアの貨幣が持つ三つの機能。権力の位置転換(メタセシス)、模像(シミュラークル)、社会的調整─ディカイオン・カイ・アレーテスの創設としての貨幣

一九七一年三月三日
ノモス。成文法と貨幣(ノモスとノミスマ)が同時代に制定される─成文法と言表的儀礼(ノモスとテスモス)─ノモスの四つの支え。コリントスの貨幣とアテナイのノモス。ヘシオドスのエウノミアーとソロンのエウノミアー─経済と政治。都市国家という全く新しい観念。経済と政治との分断─模像(シミュラークル)、貨幣、法。ノモスは何を語るのか。

一九七一年三月十日
純粋なものと不純なもの。移行の儀礼としてのホメロス的沐浴─前七世紀と前六世紀における穢れの地位の転倒─ノモス、貨幣、新たな宗教的実践─奢侈な供犠の民主的代替物としての禁忌─不死の民主化─罪、知への意志

一九七一年三月十七日
罪、純粋さ、真理。新たな問題系─オイディプスの悲劇。視覚にもとづく証言の出現─ノモスと純粋さ。純粋さ、知、権力─ソポクレスのオイディプス対フロイトのオイディプス─〈賢者〉の場所が覆い隠すもの─言説的出来事とは何か─ニーチェの有用性

ニーチェ講義
ニーチェとともに、真理を拠り所とすることなく真理の歴史を考えるにはどのようにすればよいか

認識は、起源を持つのではなく、一つの歴史を持つ。真理は、これもやはり発明されたものであるが、ただしさらに後の時代の発明品である─知と真理との包含関係を解体するニーチェの無遠慮さ─主体と客体。これらは認識の基礎ではなく、認識の生産物である─しるし、記号、語、論理。これらは認識の出来事ではなく、認識の道具である─侵犯の空間において繰り広げられる認識。しるし、語、意欲の戯れ。虚偽としての認識─道徳としての真理。意志と真理とを連接させるのは、自由なのか、それとも暴力なのか─真理への意志の逆説。真理の存在論などありはしない。真ならざる真理の分配のカテゴリーとしての、錯覚、誤謬、虚偽─アリストテレスとニーチェ。知への意志の二つの範例

講義要旨

オイディプスの知
ソポクレスの悲劇『オイディプス王』では、五つのやり方で異なる知が互いに対決し、適合し合う。シュンボロンのメカニズム、あるいは半分の法則が、それらの知の対決を規制する。─ここに見られるのが、調査という司法手続きである。この手続きは、伝統的な予言の手続きに対抗するものとして、前六世紀および前五世紀に実施された。─無知なるオイディプスは、僭主の知を所持する者である。オイディプスとは、無意識の紋章なのか、それとも知っている王という古いオリエント的形象なのか─オイディプス王、あるいは知に結びついた侵犯的権力

講義の位置づけ

訳者解説
文庫版訳者あとがき
索引

著作者プロフィール

ミシェル・フーコー

( ふーこー,みしぇる )

ミシェル・フーコー(Michel Foucault):1926年フランス・ポワティエ生まれ。高等師範学校で哲学を専攻、ヨーロッパ各国の病院・研究所で精神医学を研究する。1970年よりコレージュ・ド・フランス教授。1984年没。著書に『精神疾患とパーソナリティ』、『狂気の歴史』、『臨床医学の誕生』、『言葉と物』、『知の考古学』、『監視と処罰』、『性の歴史』がある。

慎改康之

( しんかい・やすゆき )

1966年、長崎生まれ。東京大学教養学部卒、東京大学大学院博士課程退学。フランス社会科学高等研究院(EHESS)博士課程修了。現在、明治学院大学教授。著書として『法の他者』(共著、御茶の水書房)、訳書に『ミシェル・フーコー講義集成』第Ⅳ、Ⅴ、Ⅷ、ポール・ヴェーヌ『フーコー その人その思想』(筑摩書房)他。

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